みゆき楽団歳時記
MIYUKI-BAND みゆき(おじさん)のアコースティックバンド活動・猫イラスト・猫自慢・フライフィッシング日記・工作・・・散らかってます。ごめんなさい
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阪神・淡路大震災から15年・僕が見た震災一ヵ月後
 昨夜、フジテレビで放送された「神戸新聞の7日間」を、目を凝らして観た。

 阪神・淡路大震災。1995年1月17日未明、震源の深さ16km、マグニチュード7.3、兵庫県南部地震による大規模災害。
 死者・6千434名、 負傷者・4万3千792名 。

 当時、小さな建築設計事務所に勤務していた僕は、所長と先輩と3人で、震災一ヵ月後の兵庫県へ赴いた。
 あくまでも、当時の「建築基準法」が「震度7」に耐えられないのだ・・・という構造設計に伴う「新耐震基準」への、仕事上の視察であった。あれからもう15年。
 倒壊した「鉄筋コンクリートのビル」や「ツーバイフォー建築」の損傷状態。
 「昭和初期の在来木造工法」のまま、完全に焼失した長田区。
 被災者の受け入れ施設となった市役所や体育館などを、呆然と見て廻った。

 道の端には「わが家」に埋もれた犠牲者への慰霊の花束が供えられ、供養の線香が焚かれていた。
 僕らは、倒壊した建物の写真を撮りながら、どこまでも歩いた。

 いまだ青シート・テントや、被災者施設で避難生活しているたくさんの人々に出会った。
 焼け跡の匂い、生存者の体臭や排泄物の異臭を嗅いだ。

 リュックサックを背負って歩いている僕らに「おにぎり」をくれるボランティアの若者に出会った。
 街角で歌う合唱団の励ましの歌を聴き、動き回る重機やクレーン車の轟音を聞いた。
 災害は今も、世界中で起こっている。
 被災者の悲哀は、楽しいコマーシャルをはさみながら、テレビのニュースで伝えられる。

 15年前、僕はようやく落ち着きを取り戻しつつある被災地で、いったい何を学んだのだろう。
 建築構造の実態なのか、亡くなった人、残された人の悲しみや怒りなのか。
 希望を取り戻し、復興へと力強く歩み始める人々のきずな、立ち上がる町の強さなのか。

 15年経っても僕はまだ、この世の地獄の一端を、わずかに垣間見たに過ぎない。
 地球の変動が災害とならず「ゆるやかな環境の変化」として顕れるようにと祈る、一人の人間に過ぎない。
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