ある宗教学者が「宮沢賢治」を評してこう言った。「彼は惜しみない贈与の霊に取り付かれていたのだ」と。本来、詩や芸術とは、自然から動植物へ、そして人間へと惜しみなく注がれる無償のギフトなんだ、と。それを全身で受け止めた「賢治さん」は、その圧倒的なパワーに耐え切れず、自らを「修羅」と呼んだのだ。
やがて人間はお金を発明し、あらゆるものを商品・商売としてしまった。マネーゲームの始まりだ。戦争と、貧富の差の始まりでもある。
しかし僕ら自由な音楽の仲間たちには「贈与の霊」がまだ宿っている。一人のために演奏し歌い、笑顔を見交わし、純粋な喜びを受け渡すこと。なんの見返りも要らない。
あらゆる宗教も芸術もここから始まり、今もそれを貫いて、世間からは損なことだと言われ続ける。・・・いかん、大好きな「賢治さん」のことを書くと永くなるな。
「国分寺エクスペリエンス」通称「エクペリ」最高にクオリティーの高いバンドだ。それぞれに仕事を持ち子供を育て、音楽は惜しみなく贈与すべきプライスレス。俗に言うプロミュージシャンではない。この日は歌姫「おちょこ」とギターの「ゆきちゃん」のアコースティックユニットで始まった。いつもゾクゾクッとくる。


「おちょこ」は日本のジャニスジョプリンかと思えば、優しいお母さんの子守唄、少女のようなラブソングからド艶歌まで、変幻自在。そして楽器としてのボイスインプロビゼーションで、驚くべき前衛的なことをやる。ギターも上手だし、要するに「カッコイイ」のだ。そこらの日本の実力派女性シンガーがつまらなくなるから、僕は遠くまで、電車を乗り継いで、ただ素直に聴きに行くのです。
「ゆきちゃん」は、ギターフレーズの引き出しいっぱいの、巨大なタンスみたいなテクニックの宝庫。
「おちょこ」の息遣いに合わせて、強いピッキング音から囁くようなアルペジオまで、これも変幻自在の気持ちよさだ。
「かけこみ亭」は音の抜けが良くて、バンドにとってはすごくやり易いライブハウスである。


第2部はエレクトリックの3ピースとボーカル。「アリ」率いる「YARZ」のリズム隊、ベース「ヤス」とドラムの「ケンゴ」をゲストに迎えて、爆発してしまった!なぜこんな物凄いリズムなのか、不思議なほどだ。二人とも全くクレージーなヤツラだが、一端ノリ出すと鳥肌が立つ、体が自然に揺れて座っていられなくなる。
「ケンゴ」はアフリカンジャンベやカリンバを自作して、ワークショップをやりながら旅をしている。
「ヤス」は根っからのベーシスト。座ったまま踊りながら、強烈なグルーブをガンガンと繰り出す。やっぱりクレージーだー。

お客さんたちも盛況でいっぱい。僕のデジカメじゃあ、とても全員は入らない。
この真剣な聴き入る顔を見てくれ。まだオープニングのアコスティックバラードのあたり、このあと皆んなが手拍子足拍子のダンス大会となったのは言うまでも無い。
後ろのほうで帽子をかぶって、腕組みして聴いているのは、かのイカ天の「たま」の「知久よしやき君」だよ。いまはソロと新しいバンドで、小さなライブを繰り返していると言う。すごく良くなったね。
僕も35年前の過去にテレビに出て歌っていたから、こっち側へ来てやっと、楽しく歌える意味が良く解る。商品としての音楽を体験し、見極め、やはり「贈与の霊」のプライスレスギフトを選んだ。「入間ケーブルテレビ」なんかは、時々僕らの楽団ライブを録画して放送してくれるけどね。当然、ノーギャラです。
テレビから消えて、今はどうしているのか?と世間で言われるシンガーたち。実はこういうところで、思い切り良い音楽を発信しているのです。テレビもマスコミも、どうだ参ったか!