
【ひとつでも多くの命を救いたい〜動物と共生できる社会へ】
今日27日1時30分から、所沢市民文化センターMUSE(ミューズ)のキューブホールという小会場で地域猫に関する講演会があった。フリー・ジャーナリストにして「ちよだニャンとなる会」広報担当の「香取章子」さん。
わがねこの会のご婦人達は、埼玉県議会の本会議で、超党派の動物ネットワーク設立に関する質疑があるというので、そちらを聴聞しに行ったのだ。こちらには地元の県会議員「新井いたる」君が送迎バスをチャーターするという熱の入れようである。動物のための行政改革、頑張ってくれよ!
僕の勤務する事務所からは、ミューズには歩いていける。仕事を抜け出して聴きに行ったが、もちろん所長に許可を取ってだ。今日の主催者とも親交があり、僕が猫ボラをやっていることも知ってくれている。
香取章子女史、彼女の話は千代田区民ホールで聞いて以来、2回目なのだ。小ホールといっても300人は入りそうな会場に、聞き手はずいぶん少なくて気の毒だった。主催は「所沢・生命と緑を守る会」エコ・ライフを標榜し、所沢のダイオキシン騒動にも深く係わったNPO法人だから、大入り満員を期待していたのだけどね。平日の昼間はご婦人たちも集まりにくいのか、もちろん男性は僕ともう一人くらいだった。
入り口ロビーでは地元の猫ボラさんグループ「ところざわ犬猫支援の会」の皆さんがバザーをやっていた。去年さいたま動物救済ネットでお会いした同名の女性(みゆきさん)にも再会。お懐かしい。やっぱりこちらでも、女性が主体者となって頑張っていらっしゃるね。僕は猫の「絵はがき」を買いました。
この会は、いままでは寄付と会費だけで運営していて、バザーや屋台は経験がなかったと言う。グッズを並べての資金集め、僕ら「いるまねこの会」は小さくてプアーなのでたくさんやった。カレーや焼きそばの屋台まで、大変だけどなかなか楽しいものだよね。

「お父ちゃんこれはニャンだ?」野菜の大根さんというものだよ。ちょっと足がもつれていて歩けないっていう不思議な形でありますが。奥さんのガンのことをいつも心配してくれる年上の友人が、たくさんの菜っ葉や葱と一緒に届けてくれたのだ。土地を借りて菜園を楽しみ、自分の分よりも多くを近所の知り合いに配って歩く。たまには草むしりでも手伝わないと申し訳ないね。これは、つらい野良猫の話への小さな和み、ほんの掴みです。
じゃあ今日の講演で印象に残ったことを書こう。※※内は講演の趣旨。( )内はいちいち賛同の意を伝え、解説と突っ込みをいれたがるうるさいオヤジです。
※千代田区の“ちよだニャンとなる会”は2000年に行政とボランティアの協働で発足。2008年1月で、1,300匹の「飼い主のいない猫」の不妊・虚勢手術を実施した。効果を上げ、千代田区の猫はもう増えないし、猫の苦情もゼロなので、他の地域へのアドバイスや啓蒙運動に係わることができる。※
(この数は成猫のTNRはもちろん、子猫の里親探しと譲渡を含んでいる。獣医師の協力があり、区の助成金が出て、区民が常識として愛護運動に関わる。都内では、いま29の市町村・区が手術費用の助成事業をしている。わが入間市でも各自治会を通じての助成金給付が始まったところだ。)
※野良猫という種類の動物はいません。野生の猫もいない。猫属の、家猫という名の伴侶動物が捨てられ、飼い主がいない状態になっているだけ。子猫を箱に入れて置き去りにするのは「作為の遺棄」と言う。外に出して、いなくなっても探さないのを「不作為の遺棄」と言う。環境に脅かされたり、追われたりして迷うのだ。旅に出て幸せになる猫はいない。全部「のたれ死に」する。必ず探し出して欲しい。※
(僕も過去に不作為の遺棄をした。半外飼いで行方不明、事故死させ、毒殺にもあった。その罪滅ぼしが猫の会の活動なのだ。完全室内飼いでテリトリーを確保させ、多頭飼育を避けるという知識がなかったのです。)
※猫に餌をやるな!の看板は無意味である。この人たちがいなければ、猫の糞害やゴミあさりの迷惑が増えて生活環境は悪化する。食器の片付けと清掃、不妊手術の推奨によって「死ぬために生まれる子猫」は減り、殺処分施設への幼猫持ち込みもなくなるだろう。※
(これは餌やりさんたちに、TNRの宣言をし理解を得る必要がある。ただ禁止するのみでは、看板の下に野良猫がいて、餌をやる人がいることを知らせるもので「作為の遺棄」を助長するかもしれない。近所の猫嫌いとトラブルを起こした善意と優しさの餌やりさんは、かりかりを隠し持ち隠れて行動するだけだ。)
香取章子さんの餌やりさんに関するインタビュー記事があります。
→コチラ ※もう「オールウェイズ・3丁目の夕日」の時代は終わった。都会の野良猫には隠れ住む路地裏も、死んで土に還る空き地もない。飼い猫であれ野良であれ、外にいるのメス猫の半分は生後6ヶ月で妊娠している。産んでもほとんどがすぐに死ぬ。生き残っても飼ってもらえず、処分センターへ持ち込まれる。どうか不妊・虚勢手術を。どうか完全室内飼いを。※
(テレビで特集する下町の野良や、離島の港で魚をもらう猫は、まったく特殊な事例なのだ。ほのぼのしている、可愛い、というだけで、増やさないことの重要性や、冬の外猫生活の悲惨などには一切触れようとしないではないか。僕はこういった「ペット可愛い・・・」だけの番組は見ない!テレビ局は、全国で20数万匹にものぼる殺処分の現状を、知らないとでも言うつもりだろうか。)
いろいろと、また怒ったり、悲しんだりしてしまう猫の話題である。もう動物が可哀想だ、という切り口は捨てて「生命と緑を守る会」のような環境問題を論じる人たちの参加を求めよう。社会心理学の観点から、動物虐待を学問として取り上げてもらい、人間教育へ還元しよう。政治と行政への不満・要望として、猫族の生活改善を求めよう。