みゆき楽団歳時記
MIYUKI-BAND みゆき(おじさん)のアコースティックバンド活動・猫イラスト・猫自慢・フライフィッシング日記・工作・・・散らかってます。ごめんなさい
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動物の生きる権利・また・食肉動物達の命について。
f.buruburuprice この小さなフレンチ・ブルドッグの値段、23万8千円が高いのか安いのか、僕には解らない。ペットショップ通で純血種ブリーディングに興味のある人はどうか教えてください。
  近くの雑木林を切り開いて、こないだオープンした巨大ホーム・センター内のショップで生体展示販売をしていた。十数匹の子犬が並んだガラスケースの中で、ほとんどの子が力なく眠っている、または目を閉じてじっとしている・・・。僕は一人で遊んでいるこの子を、しばらく眺めていたんだ。まだ生まれて8週目くらいかな。本来なら母犬の胸の中で、兄弟犬との遊びのなかで、愛情や群れ社会のノウハウを覚え、育つべき時期だと思うんだけど。ペットショップはどうしても悲しくなるので、猫のオシッコシートを買い、サンプルのカリカリを貰って早々に引き上げた。
 もう二度と、ここには買い物に来ないだろう。僕には、この子たちを救うお金がない。どうか優しい人に買われていくのを願うだけです。
 トップに掲げた「餓死する犬」のことにも関係がある。愛玩動物、または捨てられたペットの権利ということ。人間にだって、平等な権利が与えられているわけじゃない。アメリカでは黒人たちが、日本ではアジアの人々が、正当な権利を勝ち取るために今も闘っているのだから。そしていつでも権利とは、闘争の勝利と犠牲のうえに、しぶしぶ与えられてきたものなのだから・・・。愛玩動物に生きる権利を与えることは、良識ある現代人の自然な要求だと思う。いわんや、虐待を許さないというメッセージは、健康な現代社会人の当然の主張である。虐待・遺棄・致死に対する罰則を作った行政に対しても、同胞市民に対しても、またアーティストやブリーダーに対してもだ。
 いっぽう、家畜や食肉用動物の命。世界にはまだ居るだろう、使役のために生かされている牛馬の魂。趣味のハンターの狩猟対象となる鳥獣の保護。また害獣としての駆除。
 法的に遵守されたこれらの殺戮はどうなんだろうか。命を捧げることで人間に貢献する動物たちの権利はどうだろう。たまに、愛玩動物の生死と食肉動物を一緒にして「肉を食べているくせに動物愛護なんて、矛盾している・・・!」などという議論に持ち込む人が居るが、人間が決めたこの差別は、あってしかるべきなのだ。片方には歴史の中で神聖を与えて崇め奉り、生きて人間に貢献することを期待する。もう片方には死んで糧となり、人間に貢献せよという。この大きな矛盾はどうしたことだろう?
[2月18日の追記]:この肉食の必要悪肯定に対する、飛躍した結論に「とらちゃんのおとうさん」の考察(コメントより)を付記します。人類の歴史として、また宗教との関連について、筋の通った文脈になりました。
ココカラ>・・・宗教の違いというよりも、その基盤としている文化・風習・風土の違いと言えそうです。例えば、江戸時代の日本で肉食が行われなかったのは仏教の影響とされているのですが、もともと降水量が多く海や川に恵まれ、稲作と漁業が主な産業で、畜産には向かない日本の風土を抜きにして、それは考えられませんね。反対に砂漠地帯が多く、わずかな雨しか降らず、農耕が困難な国々では、当然、少ない牧草を生かした畜産が盛んになる訳で、そうしたところ、たとえば中東に発生した宗教がユダヤ教やキリスト教さらにはイスラム教なのです。つまり後から宗教は肉食と結びついたのです。こうした肉食の文化では、家畜を家族として大切に育て、祭事などでは神から恵みとして感謝して屠り、肉ばかりではなく内臓や骨、血に至るまで有効に活用します。・・・<ココマデ
 そうでなければ、人類は生きてこられなかったというわけなのだね、仕方がないことなのだ。ならばこそ、死んだ動物にはその魂を尊敬の対象とされ、感謝と供養をもって鎮魂されるべき権利がある、と僕は思うのだ。
 しかしこの議論は、偽善だという反論と、生物学的な種ごとの差別化を持ち出されて、迷路に迷い込み本質から逸脱する。話は植物の球根や種子の生命尊厳にまで及んで、とうとう食物連鎖と弱肉強食の頂点たる人間自身の、矛盾と向き合って振り出しに戻るのだ。
 このことを解釈し、すっきりとしたくても、じつはどこにも規範がない、というのが僕の目下の悲しみでありますが・・・。
 ここはやはり、宗教・哲学・生命の、魂の問題として考えてみるしかないのかもしれないね。すべての生命に苦しみがあり、痛みを感じるのだと仮定して、獣魂祭・供養の石碑、それも針供養や人形供養などの無機物にまで及ぶ鎮魂という形で、その心痛を解決していくしかないのかもしれない。
 日本人にはその辺りの心根の優しさと、食への感謝を伝える文化がある。「精進料理」を美しいと思う一方で、さばかれた魚がまだ生きて苦しんでいても「旨そうだ!」といえる免罪符ができているのだ。だからこそ合掌し、こうべを垂れて「頂きます」「ご馳走様でした」と、本源的な生命への祈りの言葉を口にする。「謝肉」と「神への感謝」を欠かさない欧米の食事の祈りは、より宗教的意味が強く、これとは似て非なるものかもしれないけども。
 魚類の鳴き声と表情の希薄さが、日本の魚食文化を支えているとも思う。よく、モンゴルへ行ったテレビ番組の女性タレントたちが泣いているね。旅人の歓迎のために殺される、表情があってふわっとした、鳴き声の可愛い羊の死を正視できないからだ。これも歴史と文化の違いに過ぎないのではないかな・・・。日本の肉がプラスチック・パックに入って売られているのは、この女性タレントの罪ではないよ。昔は九州の僕の家でも、正月に、飼っていた鶏を絞め殺して食卓に載せた。毎日餌を与え可愛がった「家畜」であるが、決して今で言うところのペットではない。
 僕は小食であるし、不経済な食肉を貪ったりはしないが、奪われた命の糧を食べることによって生かされているものだ。それは完全な菜食主義者とて同じことで、この差を論じるのは互いに偽善をあげつらうだけで不毛である。人類が命を食べなければ生きられないのは、他の動物種の命と同じ悲しみなのだ。これを否定すれば、人類の退化と滅亡を望む極論へと、みずからを導かざるを得ない。仏教思想を持ち出すまでもなく、虫けらや石ころにさえ神聖と魂を見出すことは、人間として可能なことである。そしてそれは、美徳でさえあるのだからね。
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テーマ:日記 - ジャンル:ペット

コメント
この記事へのコメント
Haruna
みゆきさん、署名記事にコメントをありがとうございました。
引越し作業そっちのけで記事を書きましたが、
公の場所にああいう記事を挙げるというのはやはり緊張するものです。
みゆきさんからコメントを頂いて、励まされました。
この件に関しては堂々と訴えたいです。

家畜や食肉用の動物についてですが、
議論となるとやはり堂々巡りをしてしまいますね。
私の中では一応生活する上で自分なりの結論が出ていて、

「不要な食材は買わない、無駄にしない」
「感謝の気持ちをもって残さず食べる」

という感じです。
「いただきます」「ごちそうさまでした」というのは、
正に「命の恵を食事として頂戴しますよ、しましたよ」という挨拶、祈り、だと思っています。
稚拙かも知れませんが、そう思います。
2008/02/17(日) 07:17:23 | URL | Haruna #xm7FiIss[ 編集]
Harunaさん
Harunaさんのブログではおいしいご飯のことも書いているからね。素直に感謝して残さないって事がすべてなんですよ。僕は宮沢賢治さんが好きなのでこうしたことを深く考えてしまうのだ。「なめとこ山の熊」とか「ビジテリアン大祭」なんかだね。「フランドン農場の豚」という童話も、たまにはこんなことも考えてごらん、と賢治さんはぼくの思想の導き手であります。ライフワークとして彼の詩を歌うことにしたのも根底はこの価値観の本質が知りたいから。長くぐだぐだの文をちゃんと読んでくれてありがとう。
2008/02/17(日) 13:25:26 | URL | みゆき #ulujXjxo[ 編集]
食べる事
肉食をするしないは宗教の違いというよりも、その基盤としている文化・風習・風土の違いと言えそうです。

例えば、江戸時代の日本で肉食が行われなかったのは仏教の影響とされているのですが、もともと降水量が多く海や川に恵まれ、稲作と漁業が主な産業で、畜産には向かない日本の風土を抜きにして、それは考えられませんね。

反対に砂漠地帯が多く、わずかな雨しか降らず、農耕が困難な国々では、当然、少ない牧草を生かした畜産が盛んになる訳で、そうしたところ、たとえば中東に発生した宗教がユダヤ教やキリスト教さらにはイスラム教なのです。つまり後から宗教は肉食と結びついたのです。

こうした肉食の文化では、家畜を家族として大切に育て、祭事などでは神から恵みとして感謝して屠り、肉ばかりではなく内臓や骨、血に至るまで有効に活用します。

ひるがえって、日本でも農村地帯では収穫祭が漁村地帯では大漁祭が祝われますが、これも神からの恵みを祝う意味では同根で、相互の文化・習慣・風土の違いから異なった形になっているだけと思います。
2008/02/18(月) 07:43:42 | URL | とらちゃんのおとうさん #6DEZL/Jo[ 編集]
とらちゃんのおとうさん
貴重な考察ありがとう。宗教と肉食の問題もいつか考えなければいけないな、と思っていたのだ。これは風土生活に密接な関係で、ヒンドゥーが牛を食べないのも、使役に使うほうが実質経済的なわけでしょうね。彼らが食べたら牛肉は1日でなくなってしまうだろう。うまくできている。日本や欧米の文化には現在は哺乳類を殺し解体するビジョンは専門職以外に見られないですね。これも文化と技術であって、モンゴルやイヌイットの屠殺は神聖で美しいものです。ここには植物には痛みがないから食べて良い、なんていう浅薄な菜食論は入る余地がありません。消極的な個別種の愛護は意味がないです。賢治さんも童話で菜食を論じつつ肉を食っていたわけだからね。
2008/02/18(月) 08:35:19 | URL | みゆき #ulujXjxo[ 編集]
いくら説得しても、身近な親戚の狩猟さえも止められない、不甲斐無い私でありますが、薬局で薬をいただくたびに、実験に使われる動物の事などが頭をよぎり、何だか、化粧品などは使えません。
学校給食に小学生低学年まで鯨が出た世代なのですが、反対されてまで食べようという気力も無く…。
猫もまず見つけたら、不妊手術が浮かび、その費用捻出で可愛いはニの次と化し。
お洋服を着て、カフェで誕生日をしている恵まれたペットとの落差に悩み。
せめて自分に出来る事、「飽食は止めましょう、感謝していただきましょう。健康に気をつけましょう。」しかないんですが、メタボなダンナには理解されません。
勿論、食のみでなく、身辺のリサイクルにも勤めていますが、このご時勢に、ジーパン、靴下も繕うので、単に貧乏症なだけかも?爆。
2008/02/18(月) 10:41:29 | URL | M #-[ 編集]
Mさん
ご親戚に趣味のハンターがいらっしゃる、ということかな?アウトドア・スポーツの極致であり、男らしい趣味。野生種の農産物被害のときは狩猟会が出て駆除する役目もある、動物の生活圏に入って、自然を破壊した人間の罪を背負っている感じさえするのだ。どんな殺生であれ、その因果は自分で感じ取っていくしかないからね。動物実験しかりですね。虐待は見えないところで加速しているんだな。僕らはわずかに見えることを悲しみ、行動しているだけなんですね。Mさんの慎ましやかな暮らしぶりに賛成しますよ。僕のは貧乏性でなくて本当に貧乏なんですが・・・。
2008/02/18(月) 12:15:27 | URL | みゆき #ulujXjxo[ 編集]
ペットショップで犬や猫を買う。。。。
という話題だと、申し訳ないような気持ちになります。
うちのコーギーりゅうのすけは、ペットショップで15万円出して買ったから。。。
その頃(8年位前)は、もちろんブログを書いていなかったし、動物愛護・犬猫の殺処分のことも考えたこともなかったし、知識もなかったのです。。
やはり、何も知らないということが1番恐いことだと思います。
そして、りゅうのすけは我が家の家族として大切にします。
2008/02/18(月) 20:31:53 | URL | ねこつかい #-[ 編集]
ねこつかいさん
圧倒的に多いであろう、玩具として欲しがる人への皮肉を述べたんですよ。ねこつかいさんのように家族として終生飼育する飼い主には、ショップ中の動物を買い占めて欲しいくらいです。センターで殺処分される犬のほとんどが飼い主みずから、首輪付きで、飽きた・躾けられない・引越しする・大きくなった!?(本当)と言って持ち込まれる。年間約15万匹!この現実を変えるには売らないことしかないんだよ。僕も過去に知識がなくて、半外飼いの猫を事故や撒かれた毒でずいぶん死なせたからね。後悔は戒めです。命への恩返し、罪滅ぼし。
2008/02/18(月) 21:07:54 | URL | みゆき #ulujXjxo[ 編集]
みゆきさんのブログ、餓死する犬のアートがずっとTOPに置いてあると知らなくて、
見たくないものですから、ちらっと見て、
「あ、またあの画像。みゆきさん、更新してないんだ」と思って、
画像をみないようにあわてて、別の方のブログに飛んでおりましたよ。
なんだよ、意見ならいっぱいある話題ばっかり続いてたんじゃん。
乗り遅れもはなはだしいよ、ぷんぷん。
いつもみゆきさんのブログには一番にコメントを書いていることが多いお狂であるのに。
まあ、いいです。
私は肉食には反対なんですが、二つ理由があります。
一つは感情的な面。これはかわいそうですわ。
でもですね、私釣りもいやなんですね。
お好きな方多いと思います。
ぶんちゃんの彼も好きで「キャッチ アンド リリース」だそうですけど。
なんかなあと思っておりますね。
そして鯨ですね。
今話題ですけど、反捕鯨運動の方々のやり方はいやですよ。
でもやはり鯨はとってほしくないですね。
卵もね、食べてますけど、無理やりかこって生ませてないかなと思ったりしますよ。
もう一つの面は、ホルモン剤、抗生物質の投与です。
食べる人への危険性ですね。
そして、かけるお金のわりに、賄える口数が少ない。

で、ペットショップですが。
これはですね、生体販売中止を求めますよ。
だって、母親と早くにはなされすぎ。
問題行動を起こす可能性が高い。
ということは保健所につれていかれる可能性が高いということです。
ただ、生体販売禁止であるならば、ねこつかいさんは決して負い目を感じる必要はないですよ。
だって、売れ残れば、殺されるんですから。
そういう意味で、ペットショップで買っていかれる方々を私は悪くは思わないですよ。
殺されるいのちを救っていますからね。
でも、お店がほくほくするのもいやですからね。
根本的に、生体販売禁止。
これが動物のしあわせにつながると信じていますよ。
2008/02/19(火) 20:00:18 | URL | お狂 #-[ 編集]
お狂さん
あちゃ、更新してないと思われてた。最新記事はこの下です、と掲げてあったのに、お狂さんはこういう写真に弱いんだね。僕としては一番、衰弱が写りこんでいないのを選んだんだけど。もうこれを掲げてから署名はプラス1万件になったから、トップから徐々に下げますけどね。お狂さんちは菜食ですか。うちも似たようなものだけど、卵は好きだし牛乳も飲むし買ってきた惣菜にはひき肉や魚介が使われていますね。ステーキを貪り食ったりしないというくらいで。鯨も牛も羊・豚も余すところなく糧として感謝で利用すれば可哀想だとは思わないのです。、むしろショップの売れ残りを殺すなんてほうが許せんのですよ。食べないくせに、命として尊敬しているのか、という問題ですね。殺処分て最後は麻袋にぎゅうぎゅう詰めて焼くんだからな。・・・また腹が立ってきました!!
2008/02/19(火) 23:42:40 | URL | みゆき #ulujXjxo[ 編集]
亡くなった、こたろうのためにインターネットで探した葬祭場は、その殺処分された子達を焼く業者でした。
ホームページに書いてあったことと大違い、騙されました。
苦しみが倍増しまいた。
焼き切れた網がいっぱい置いてありました。
毎日、毎日、この人達は犬や猫達を焼却処分して、感覚がおかしくなってしまったのでは。。。と感じました。物扱いでした。もちろん抗議しましたが。。。。
今でも続く私の苦しみのひとつが、このことです。
2008/02/20(水) 02:57:45 | URL | ねこつかい #-[ 編集]
ねこつかいさん
麻痺しないと続かない仕事だね。戦場の兵士と同じ、まともなら精神を病むだろう。「どうぶつたちへのレクイエム」http://www1.u-netsurf.ne.jp/~s-kodama/のメニューに「現場からのレクイエム」という職員の手記があるよ。こたを葬祭したその業者は民間委託なんだねー。行政の処分センターは保健所の公務員かな。好きでやる仕事じゃない。人生をかける価値がないです。
2008/02/20(水) 08:10:57 | URL | みゆき #ulujXjxo[ 編集]
人類からみた霊長類の進化
人類は「さるお」いや失礼!サルから進化したと言いますが、その源は原始的な哺乳類である食虫目に求められます。

この食虫目は現生ではモグラやトガリネズミの仲間で主に虫を食します。起源は恐竜がいた中生代後期約1億年前まで遡る事が出来ます。

これらのうちで樹上生活に適応する様になった仲間を霊長類といい、広義のサルの仲間になります。

そのなかでも食虫目の要素を強く残した仲間がツパイやアイアイ(アイアイ・アイアイ・おさーるさんだよ)など形状的にはリスや珍獣の様に見え余りサルらしくない仲間で、今日も虫を好んで食べます。

しかし、より樹上生活に適した進化を遂げたサルらしいサルの仲間、例えばニホンザルなどは完全な植物食になります。

ところが、その中で類人猿と言われる尾のないより進化の進んだ仲間(これは人類も含まれるのですが)の中に肉食をするものが現れます。現生のものではチンパンジーが狩りし肉食する事で有名です。

人類の場合、いまから500万年前に樹上生活から地上生活に移行したと考えられていますが、その前後に肉食が始まったと考えられます。

人類の場合、食虫→植物食→雑食(植物食・肉食)と、およそ1億年の中で移って行った訳です。

ただ、いまのところ人類を含めた類人猿がなぜ肉食を始めたのかは定説がまだないようです。おそらく、サルとしては大型の体型を維持する事や樹上よりも地上での食物の乏しさと関係があると思われます。
2008/02/20(水) 20:28:47 | URL | とらちゃんのおとうさん #6DEZL/Jo[ 編集]
とらちゃんのおとうさん
また歴史的な説を教えてもらった。いずれにしても生命を維持するために食べること、それが時代と環境の中で選択的に進化してきたのだな。あるいは選択肢の一つが偶然未来環境に適応して生き延びた、それが現在に残った、ということですか。サルが肉を食べ雑食になったといってもなかには食えないやつも居たはずだよね。そいつらは淘汰されたか。いま肉ばかり食う人間が未来に適応してないのは明らかだけどね。
2008/02/20(水) 20:51:19 | URL | みゆき #ulujXjxo[ 編集]
植物食だった人類の末路
先のお話の続きですが、他の類人猿の仲間と袂を分かって樹上から地上に降りた初期の地上二足歩行型類人猿つまり人類は二つのタイプがあったようです。

一つのタイプは大型でガッシリしたあごを持つ仲間で骨格から推定して完全な植物食であったようです。

もう一方のタイプは小型で華奢なあごも弱い仲間で肉食的な要素が強かった事が骨格などから推定されます。

言うまでもなく、私達現生人類の直系の祖先は後者とされ、前者の大型植物食人類はその後に淘汰されたのですが、その原因ははっきりとは分かりません。

ただ、あごを使う筋肉は頭蓋骨の周りにあるので、強くあごを使うと頭蓋骨が締め付けられて発達が妨げられ、結果として脳が大きくならない為、頭脳が劣るとされます。

つまり、平たく言えば頭が悪いので生存競争に負けたという事、あるいは想像の域ですが、小型の肉食の人類に食べられてしまったのでは、と考えられています。

こうして振り返ると、人類が肉食をする様になったのは進化の歴史と密接に関連しているのですが、それでも植物食である進化したサルから地質学的には近年に分岐した現生人類では、食生活の主は植物食で肉食は従の関係である事、そして、それが自然である事です。

それは、肉を沢山食べるアメリカ人に成人病の患者が多い事、戦前にくらべ肉食が多くなったとは言えアメリカに比べはるかに植物食の比率の多い日本では平均寿命が世界有数になっている事などからも言える事でしょう。

最後になりますが、仏教で肉食を禁じているという事は釈迦の時代にはなかったようですね。釈迦は殺生は禁じましたが、肉は食べていた様です。自分の為に動物が殺される事は認めないけれども、既に殺されていた動物をたまたま食するという事は禁じなかったそうです。仏教における肉食禁止は後世の事なのですね。余談ですがイスラム教の開祖マホメットはワインを飲む事は禁じましたが、今で言うビールの様な弱い酒を飲む事は禁じていなかった様で、厳格なイスラム教徒が一切のアルコール飲料を禁止するのも後の世の事です。
2008/02/21(木) 06:30:19 | URL | とらちゃんのおとうさん #6DEZL/Jo[ 編集]
とらちゃんのおとうさん
なるほどね。2系統のサルの淘汰の仮説は解った。興味深いのは釈迦の食です。説話でも1行のお経を聞くため、鬼人に自分の肉を捧げようとしたり、鷹に体を食わせたりするし、子供の頃は王宮で酒池肉林だったわけだ。命が命を食べるということの悲哀を知り、出家してそれを超越したと言えるでしょう。異教徒には絶対不殺生を強制しなかったと。イスラム教の飲酒もしかり。禁忌とは後の弟子がスピリットを受け継ぐために遵守すべきと決めた規範だね。それもまた歴史環境の理にかなっているわけだね。
2008/02/21(木) 08:05:21 | URL | みゆき #ulujXjxo[ 編集]
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