

今日は狭山市の福祉作業所「ぶどうの会」で貰ったギターの修繕です。お正月にライブをやったときに、倉庫でゴミとして忘れられていたこいつに出会ったのだ。
内部の骨組みであるブレーシング材も膨らみが原因で接着がゆるんでいる。これは隙間に接着剤を足し、突っ張り棒のような専用のねじ付き器具で、内外から押さえて貼っていく。サウンドホールの穴から手を入れて、見えないし手がつりそうだし、大変な作業だった。


[付録]・・・ やっぱり猫のことも書いておこう(ニャ〜)。
アスファルトの隙間を破って出た「ど根性大根」がニュースの話題になっていたね。あのあと抜かれて、市役所で葉っぱだけ水栽培されていたけど、もう枯れてしまっただろうか。大根や葱は話題になるけど、皆さんご存知の通り、実はど根性でアスファルトに生える植物はそこら中にいっぱいあるよね。これはタンポポとスギナの、道端のブーケだよ。公園の横の、車が行き交うガード・レールの足元に咲く。
夕べはそのタンポポをてんぷらに揚げてもらって、茶蕎麦と一緒に食べたのだ。てっぺんに乗ってる黄色いのがそう。その下はもちろんヨモギのてんぷら。道端ではなく、河原に降りて摘んできた。しかし主役はとうぜんタケノコさんだ。短冊に切って衣をつけて、表面はかりかり、中はほわっと歯ざわりしゃくしゃく、新鮮柔らかでじつに美味しい。そば汁には漬けず、塩でいただくのだ。
秩父の山に沈む夕日。山に掛かるとすごいスピードで落ちていく。これが地球の回る速さなんだね。いま僕らの立つこの星の上で、今日一日の仕事を成し終え、疲れて、僕は少し散歩をする。「かわいい・かわいい」と鳴きながらカラスも山に帰るころ。日を映す川面の波が一瞬止まって、ぎらっと油っこく光るころ。公園の親子も縞々のビニール・シートをたたむ。
雨が続いて寒かった西向きのベランダにも、午後だけの光りが戻る。プランタに種を蒔いて2週間、ラディッシュの芽が出て双葉が開いたので、すこし間引きをしてやった。夕方の雲間から陽が差して、しゃがんだモルタルも暖かい。
里山の麓に住む友達が季節の贈り物、たけのこを茹でていっぱい送ってくれた。地面に出ない小さいうちに、達人の技術で(イノシシより先に)見つけ掘り出した、これこそ春の宝物だね。柔らかくて新鮮で、とても美味しい。
[22日の追記]:
←その和室の窓から見える風景です。まえは針葉樹中心の雑木が植えられ、静かな日陰を作っていた。狭山丘陵の北斜面。
そんな景色を窓越しに、水槽の棚の隙間から監視している「カリン姉ちゃん」です。
雨の日も嫌いではないよ。景色もしっとり色が澄んで遠くに見える。往来の騒音も、水を巻き上げるタイヤの音が湿って聴こえ、阿須の公園を散歩する人のさす傘の色、そのカラフルさも楽しいからね。
「いるまねこの会」猫の会議は、いっぱい議題があってなんにも決まりません。みんな猫だからまとまりがない。隣の人と盛り上がり、お菓子を食べ食べ笑いあったりしているのだ。毛づくろいしたり、爪を研いだり、顔を洗い、肉球を噛んでいる人もいる(嘘)。
ただひとつ、懸案の猫バサミ人形は研究が進んで、Kさんが試作品を作ってくれた。たくさん出来たから、chiekoさんのグループ・アート展で売りましょう。
ベランダから遠くを見ると「八高線」の鉄橋が見える。八王子と高崎を結ぶ線路の名前。谷間の家の屋根の上、春のレールを渡して電車は走る。今日は白い3両編成で、がたんごとん・ごーごー・と通って行った。・・・夜には車窓の明かりも月明かりも、黄色くて淡くて、幻想音楽みたいなのだ。どうしてもうまく写真に撮れないけれど、まるで賢治さんのファンタジーのようなのだ。賢治さんのふるさとの・・・
川のふちに建つ農家。なんとのどけき庭を持ち、ひろがる景色を独り占めしていたことだろう。
ここが僕らのホーム・グラウンド。東飯能は西武池袋線の飯能の次の駅。秩父へ向かう路線の、小さくノスタルジックなふるい駅舎だった。今は立派な駅ビルができて繁栄して、いるかにみえたけど。ビルに入っていたデパートが撤退して、建物だけが大きい、寂れた町外れに戻ってしまった。そんな町の片隅にある、隠れ家のようなシックなライブ・カフェだ。ご覧の通り、看板も出ていない商売気なし、僕らの集会所みたいである。
お馴染み「ハル」は新曲を披露。僕は曲として納得し、歌い始めるまで1・2年かかるんだけど、若者は早いなー。「さっきできました」なんて言いながらジャーンと始めてしまった。・・・ 「植竹君」は初対面。内省的な叫びが、オールド・ギブソンのかき鳴らすリズムにのせてマシンガンのように繰り出される。照れて半分隠したサングラスのこわもてに、似合わぬ優しい詩の言葉だ。大人のロックだ。一発でファンになった。また聴きたくなるクセがあるのは凄い。
「こやま君」にも初対面。植竹君とともに東松山の「音蔵」というライブ・スペースなどで活躍している。彼もすごいギブソンのギターを弾いている。70年フォークの王道と貫禄を持ちつつ、当時の誰にも似ていない表現。サウンドが美しい。こちらも一発でファンになる。一緒に演りたい人たちです。・・・ 「あつし」超絶テクで会場のギター弾きを黙らせる。バックのPC打ち込みリズムは良くできていて、しかしいまいちだねー。3ピース・バンドを持ったら凄いだろう。
「さるお」彼らにも伝えた。「一人一人のソロを聴きたくなってきたね」と。4人全員の力いっぱいなハーモニーと、楽器のかき鳴らしはこんなに気持ちが良いのだ。個々の歌いまわしやギターが、器楽合奏の域を超えてメッセージを飛ばし始めた。音のバランスも良かったので客席もオーディエンス・パワーをバンドに返す。この相乗効果が身についてくると、ソロの歌が自信を持って輝くのだ。こんど一人づつ1曲やってごらん。ぜひ聴きたいです。
「みゆき楽団」はたるさんと二人。僕らの原点の音を聴いてください、ってことで。静かに夕焼け雲を歌い始める。バラードをゆっくりなリズムで、お互いあまり弾かずにそうそうと歌った。でも最後はごらんの大騒ぎ。たるさんの「丘を越えて」にさるおとあつしが入ってのセッションだ。たるさん、バックの大コーラスに押されて、いつもより余計にソウルフルに歌っておりましたね。
「まゆ1号」と「ゆういち2号」ピアノの「いくよ5号」が入って、「女王アリまゆ1号」のバックを曲ごとに増やしていくという演出だ。あつしと僕、さるおのえび君も「働きアリ6・7・8号」として参加して、これで6人組。これを伴奏に「さき3号」と「りさ4号」が春の別れ歌「ひらりふわり」を歌う。客席を巻き込んで大合唱。少年・少女とおじさん・おばさんの混声合唱は、ちょっと感動的でありました。
互いにいつまでもお礼を言って、夜も更けて、今日も入間のライブで会えるのに、いつまでもいつまでも手を振って分かれたね。みんなどうもありがとう。
こんな日は奥さんを誘って、ちょっと長い散歩をする。徒歩3分、少し登れば「ムーミン谷」だ。
粗く削った木材と、シックイそして石葺きの屋根。建築家「村山雄一」氏の渾身の作、建設大臣賞を取った飯能の誇り。公園のモニュメントとしては秀逸だ。

これが僕の奥さんです。大病をして療養中であっても、たまにはお日様に当ててやろうと連れ出した。はやくも疲れてムーミン・パパのソファで休憩中。花粉症なのででっかいマスク。変装してるわけではありません。僕は散歩のたびにここを横切り、丘陵へ続く山道を登る。奥さんは久しぶりの2回目だって。
市営放送のスピーカーから、5時の「夕焼け小焼け」が聴こえる頃、良い子はカラスと一緒に帰るのだ。
僕は春の嬉しさを歌いながら、住む町と丘陵の自然をブログに書いた。だからかな、ここの上空を飛んでる夢を見た。グーグル・アースみたいに急降下したり、地面すれすれに旋回したりした。
「黒猫ムーン」は友人宅の屋根裏で、6匹兄弟と共に産み捨てられた。梁に挟まって母猫にも救い出せず、レスキューを呼んで救助したのだ。
これがそのときの写真。A5の焼き増しをくれたので僕がブログのために接写したもので、原作のクオリティーは出ていない。右下で半分つぶされながらも、どうにか顔を上げているのが「ムーン」君。こんなに小さかったのか・・・久しぶりに写真を眺め、いまのこの子と比べてみる。
いままでは日暮れの同じ時間に、ドアノブをカチャリと回せば飛んできた2匹も、いつもの時間のお父ちゃんの帰宅ではないと知っていて、顔を見るまでは玄関に走ってこない。 「ほら、忘れずに摘んできたよ。毎日お昼でも、お父ちゃんがいるのはちょっと不思議かい?」・・・なんてことはどうでもいいみたいで、顔をしかめてしゃくしゃくぱりぱり、並んで仲良く食べる。
僕の春が過ぎていくよ。桜と一緒に南風に吹雪き、霞の川のみなもに浮かんで、花のいかだも流れ行く。暖かな一日をこうして外へ出て、乾いた草の上に座る。お団子には舞い散る花びらまぶし、おいしいねえ、といくつも食べる。

春の最後の一日に、僕がすること。
僕が住むのは、阿須運動公園の南にあるがけの上。ここが飯能市と入間市の境界線だ。狭いながらもリバー・ヴューが抜群の、冬寒く、夏は涼しいマンションの4階です。
日曜日には雨が降り、桜も咲くのをやめてじっと息をひそめていた。僕らの「森のコンサート」も早仕舞いして「じゃあまたねー」と名残り惜しみつつ帰ったのだった。天気予報の通り、ぴったり3時に降り出したので、楽器もアンプも濡らさず済んだね。そして、翌日も鬱屈したお天気は続いた。
こんな日には、猫たちのために葉っぱを摘んで帰るのだ。ドアノブの音で飛んでくる、おかえりにゃーのおみやげだ。2匹でくっついてシャクシャク言って食べるので、持っていたカメラをそっと構える。でもすぐに気付いてこっちを警戒し、こんな猫相の悪い顔になってしまうんだよね。写真を撮ってないときの、本当に可愛い顔、しぐさ、どうしてもそれが撮れないのだ。