みゆき楽団歳時記
MIYUKI-BAND みゆき(おじさん)のアコースティックバンド活動・猫イラスト・猫自慢・フライフィッシング日記・工作・・・散らかってます。ごめんなさい
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「埼玉県動物愛護管理推進計画」とカリン(猫)の祈り
inori <「神さま!この世にあなたのご意志というものが顕現するのなら。どうかもう死ぬために生まれる子猫たちの命を地上に遣わされず、虹の橋で定員いっぱいまでお留め置き下さい・・・」
 と、祈るカリン・・・。
 もちろん遊んでいる時に偶然撮れた1枚である。でも猫の遺棄や殺処分、不妊・去勢についての記事に疲れた僕(彼女のお父ちゃん)にとっては、ものいわぬ猫の一瞬の真実か!とも思えて、この表情がじつにいじらしくってしかたがないのだよ。(なぜ疲れてしまうのかは、前回のエントリーや過去の「猫自慢カテゴリー」を見ていただくとして・・・。)
 今日は新聞の埼玉版に出ていた動物の記事のお話。

 埼玉県で2006年度に行政が収容した犬・猫が、計1万と287匹。そのうち9割の9,118匹が殺処分された。県は3月に「県動物愛護管理推進計画」を策定し、今年からの10年間で殺処分数を3割減らすという。2017年までに、年間の殺処分数を6,400匹以下にするということだ。
 これは「改正動物愛護法」によって各県に義務づけられ、パブリックコメントを求めて作った策定案である。僕も「ぜひ殺処分の全廃を、不妊・去勢のための助成金事業を」と意見を送った。 
 その他の主な内容は・・・
※正しい飼い方や不妊・去勢の啓発。
※動物愛護推進員を公募制にして民間ボランティアを増やす。
※マイクロチップ登録制の普及。
※飼い主返還数を2割増やす。
※センター引取りを半減させる。
 さて、お決まりの項目はあがったが、県に具体的なノウハウはあるのだろうか?身勝手な理由で捨てに来る飼い主を門前払いにしたところで、その子たちはセンターからの帰りがけに、公園へ置き去りにされるだろう。
 ぜひとも実現可能な、人的・経済的なバックボーン、およびエキスパートのいる教育環境を構築しなければならない。
 また懸案には・・・※里親探しのために、これまで個人向けだった譲渡をボランティア団体にも広げる。 というのがあるのだが、これは聞き捨てならないね。行政が行う譲渡会に民間ボランティア団体の協力を仰ぐ、というのなら理解できるけど。なんだか猫好きたちに押し付けようという感じだね。
 もしも減った3割をそっくりボラ団体が引き取ったならば、埼玉中の「動物の会」はすぐに破綻してしまうだろう。不妊・去勢の助成金制度や譲渡会などの予算も計上していないのに、譲渡の範囲のみを広げるという発言の意味がさっぱり解らない。保護と里親募集で手一杯のボラ団体が、これ以上の引取りを申し出るのは大変なことなのだ。現状を知らないお役人の思い付きならそれでも良いが、これは行政の回答として新聞に載っていることだ。責任感があるのなら、譲渡の後の保護施設や、人員のための枠組み体制をしっかり考えた上で言うべきことじゃないかと思う。
 じつはこれらの新聞記事、おととい27日の本会議で質問に立った、わが地元の県会議員「新井格」君の質疑とそれに対する回答なのだという。鋭く的を射た質問を新聞各社が取り上げたわけだ。また今日は、県会議員たちによる超党派の“動物議連”が設立され、彼が役員となった旨、建設的なメールも届いていた。この本会議当日には、猫の会のメンバーも応援団として見学・聴聞に行ったのだ。しかし、応援する僕らの評価は、その活躍が人間社会と動物たちにどう係わるか、良い方向性なのか、ということしかないのを忘れないでほしい。この推進計画が具体性を持って確実に実行されるように、さらなる尽力を期待します。
  [3月2日の追記]:2月29日、超党派の動物議連が発足。正式名称は「埼玉県議会動物と共生する社会を推進する議員連盟」です。
  発起人:新井格議員(民主)大山忍議員(自民)、西山淳司議員(公明)。会員数45名でのスタート。さあ、ここからペット動物の生きる権利と、それを守ろうとする僕らの未来が広がっていくか?埼玉と全国のボランティア・グループが注目しています。頑張っていただきたいね。
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テーマ:野良猫と地域猫 - ジャンル:ペット

動物と共生できる社会へ・香取章子さん講演会私的レポート
akikokatori 【ひとつでも多くの命を救いたい?動物と共生できる社会へ】
 今日27日1時30分から、所沢市民文化センターMUSE(ミューズ)のキューブホールという小会場で地域猫に関する講演会があった。フリー・ジャーナリストにして「ちよだニャンとなる会」広報担当の「香取章子」さん。
 わがねこの会のご婦人達は、埼玉県議会の本会議で、超党派の動物ネットワーク設立に関する質疑があるというので、そちらを聴聞しに行ったのだ。こちらには地元の県会議員「新井いたる」君が送迎バスをチャーターするという熱の入れようである。動物のための行政改革、頑張ってくれよ!
 僕の勤務する事務所からは、ミューズには歩いていける。仕事を抜け出して聴きに行ったが、もちろん所長に許可を取ってだ。今日の主催者とも親交があり、僕が猫ボラをやっていることも知ってくれている。
 香取章子女史、彼女の話は千代田区民ホールで聞いて以来、2回目なのだ。小ホールといっても300人は入りそうな会場に、聞き手はずいぶん少なくて気の毒だった。主催は「所沢・生命と緑を守る会」エコ・ライフを標榜し、所沢のダイオキシン騒動にも深く係わったNPO法人だから、大入り満員を期待していたのだけどね。平日の昼間はご婦人たちも集まりにくいのか、もちろん男性は僕ともう一人くらいだった。 
 入り口ロビーでは地元の猫ボラさんグループ「ところざわ犬猫支援の会」の皆さんがバザーをやっていた。去年さいたま動物救済ネットでお会いした同名の女性(みゆきさん)にも再会。お懐かしい。やっぱりこちらでも、女性が主体者となって頑張っていらっしゃるね。僕は猫の「絵はがき」を買いました。
 この会は、いままでは寄付と会費だけで運営していて、バザーや屋台は経験がなかったと言う。グッズを並べての資金集め、僕ら「いるまねこの会」は小さくてプアーなのでたくさんやった。カレーや焼きそばの屋台まで、大変だけどなかなか楽しいものだよね。
daikon 「お父ちゃんこれはニャンだ?」野菜の大根さんというものだよ。ちょっと足がもつれていて歩けないっていう不思議な形でありますが。奥さんのガンのことをいつも心配してくれる年上の友人が、たくさんの菜っ葉や葱と一緒に届けてくれたのだ。土地を借りて菜園を楽しみ、自分の分よりも多くを近所の知り合いに配って歩く。たまには草むしりでも手伝わないと申し訳ないね。これは、つらい野良猫の話への小さな和み、ほんの掴みです。

 じゃあ今日の講演で印象に残ったことを書こう。※※内は講演の趣旨。( )内はいちいち賛同の意を伝え、解説と突っ込みをいれたがるうるさいオヤジです。

 ※千代田区の“ちよだニャンとなる会”は2000年に行政とボランティアの協働で発足。2008年1月で、1,300匹の「飼い主のいない猫」の不妊・虚勢手術を実施した。効果を上げ、千代田区の猫はもう増えないし、猫の苦情もゼロなので、他の地域へのアドバイスや啓蒙運動に係わることができる。※
 (この数は成猫のTNRはもちろん、子猫の里親探しと譲渡を含んでいる。獣医師の協力があり、区の助成金が出て、区民が常識として愛護運動に関わる。都内では、いま29の市町村・区が手術費用の助成事業をしている。わが入間市でも各自治会を通じての助成金給付が始まったところだ。)

 ※野良猫という種類の動物はいません。野生の猫もいない。猫属の、家猫という名の伴侶動物が捨てられ、飼い主がいない状態になっているだけ。子猫を箱に入れて置き去りにするのは「作為の遺棄」と言う。外に出して、いなくなっても探さないのを「不作為の遺棄」と言う。環境に脅かされたり、追われたりして迷うのだ。旅に出て幸せになる猫はいない。全部「のたれ死に」する。必ず探し出して欲しい。※
 (僕も過去に不作為の遺棄をした。半外飼いで行方不明、事故死させ、毒殺にもあった。その罪滅ぼしが猫の会の活動なのだ。完全室内飼いでテリトリーを確保させ、多頭飼育を避けるという知識がなかったのです。)

 ※猫に餌をやるな!の看板は無意味である。この人たちがいなければ、猫の糞害やゴミあさりの迷惑が増えて生活環境は悪化する。食器の片付けと清掃、不妊手術の推奨によって「死ぬために生まれる子猫」は減り、殺処分施設への幼猫持ち込みもなくなるだろう。※
 (これは餌やりさんたちに、TNRの宣言をし理解を得る必要がある。ただ禁止するのみでは、看板の下に野良猫がいて、餌をやる人がいることを知らせるもので「作為の遺棄」を助長するかもしれない。近所の猫嫌いとトラブルを起こした善意と優しさの餌やりさんは、かりかりを隠し持ち隠れて行動するだけだ。)
香取章子さんの餌やりさんに関するインタビュー記事があります。→コチラ

 ※もう「オールウェイズ・3丁目の夕日」の時代は終わった。都会の野良猫には隠れ住む路地裏も、死んで土に還る空き地もない。飼い猫であれ野良であれ、外にいるのメス猫の半分は生後6ヶ月で妊娠している。産んでもほとんどがすぐに死ぬ。生き残っても飼ってもらえず、処分センターへ持ち込まれる。どうか不妊・虚勢手術を。どうか完全室内飼いを。※
 (テレビで特集する下町の野良や、離島の港で魚をもらう猫は、まったく特殊な事例なのだ。ほのぼのしている、可愛い、というだけで、増やさないことの重要性や、冬の外猫生活の悲惨などには一切触れようとしないではないか。僕はこういった「ペット可愛い・・・」だけの番組は見ない!テレビ局は、全国で20数万匹にものぼる殺処分の現状を、知らないとでも言うつもりだろうか。)

いろいろと、また怒ったり、悲しんだりしてしまう猫の話題である。もう動物が可哀想だ、という切り口は捨てて「生命と緑を守る会」のような環境問題を論じる人たちの参加を求めよう。社会心理学の観点から、動物虐待を学問として取り上げてもらい、人間教育へ還元しよう。政治と行政への不満・要望として、猫族の生活改善を求めよう。

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ともにある生活・猫とバンドとマイブログの日々
manekikarin 猫とともに暮らす。動物とともに生きる。「ペットを飼う」なんて言葉よりは素敵だと思わないかい。ともにこの家と食を分かち合い、喜びは倍に悲しみは半分に。なんだ人間の友達と一緒じゃないか。と思う以上に、僕はなんだか彼らのスイート・ホームに居候しているような気がするのだ。猫たちに見送られ「お帰りニャー」と迎えられて、遊びに行ったり仕事に出かけたり、そして夜にはきちんと迷わず帰宅する。奥さんと猫とがここの主人であって、僕には拠点・なわばり・ガラクタ置き場・なによりも懐かしい寝床である。それで良いのだ。だれも寂しくなく、ひもじくもなく、互いに持病はあっても日々に元気で笑い合える。「カリン」と遊べば笑顔になれる。
 そうだよ、猫と暮らして良かったことはたくさんある。
 ・・・僕は以前より優しくなった。猫にではなく、人間にだよ。猫とともにある生活の中で、彼らからそうしなさいと教わったからね。猫の言いつけは守るのだ。
masterinsf 僕らはバンド・メンバーを募集したことがない。ここに写っているのは、30年の付き合いの歌い手たちだ。過去にはそれぞれ自分のバンドがあり、リーダーとしての経験がある。いつも歌っている仲間達に「みゆき楽団」という名前が付いた。
 今も続く大御所「ひのこバンド」には、みんな掛け持ちで一緒に歌う。一つじゃ物足りないという、密度の濃い楽しい参加のしかたなのだ。 
 家庭を持ち、仕事が充実して手一杯になれば、普通はアマチュアのバンドなど辞めてしまうのが大人である。あるいは会社で偉くなって、経済と休暇に余裕が出てから始める「おやじバンド」がブームだそうだ。僕らはまた、それとも違う。生活の中に音楽があり、そこから出てくる歌がある。そいつを絶やさず肩に背負って来た、みんな生き残りの老兵なのだ。30年・40年前に作った歌を、いまも色褪せず歌いつなぐ。裕福さや老成と無縁なのは、言うまでもありませんな。
 バンドをやっていて良かったことは。生活の中にバンドが無いなんて、考えられないということだ。すべての友人関係もボランティア活動も、バンドとともにある。
 僕のブログもここで発表している絵も、1年と10ヶ月続いたので、次第にそんな感じになってきた。だからバンドと猫と、それにまつわる日々のことを書く。全部がごちゃっとてんこ盛りになってしまっても、どれも大切だからしかたがないのだ。今日も良かった良かったと言いながら、まとまらない思いを書きました。

テーマ:日記 - ジャンル:ペット

飯能イースト・コート2月のライブ。個性ある4バンドがてんこ盛り!
ec01 飯能イーストコートで恒例のライブ、いま終わって帰ってきました。埼玉は春一番なのか?黄砂は飛ぶわ、風花は舞うわ、小雨も降って大風が吹いて、ぐっと寒くなりながらも春の匂いを隠し持っている。雲の隙間の遠くでは、お日様もかんかん光っていたよ。始まりは不気味な嵐の予感、でもたくさんの人が聴きに来てくれた。ほとんどが「翔一」ファンだね。僕らのファンは中年の家庭人なので夜遊びはしないのだ。(苦笑)
ec05 「みゆき楽団」久しぶりに5人揃って思い切り歌ってきました。ピアノの「太郎」は少年合唱団のマエストロとして、去年の暮れから「発表会」の準備で忙しかったのだ。それも先週、17日の日曜日に終了、素晴らしいコンサートだった。久しぶりだねえ。やっぱりピアノが入るとアンサンブルが落ち着き厚みが出て、ちょっと上手なバンドに聴こえるからね。歌っていても気持ちが良いのだ。ミキサーをやってくれる店長「ikuさん」も、新しいPAセットに慣れたみたいで音が良かった。グラフィックイコライザーでハイを強調してくれていたのだ。

ec-*0+2 「さるお」パーカッションの女の子をエキストラに3人で。この子は高校のブラスバンドで打楽器を担当していたというから、リズムも正確だしセンスが良いのだ。シロホンも弾けるそうだから、さるお君たち、この子を放って客席に置いておく手はないぜ。二人だけじゃあパワーが不足して苦しい、みたいな事を言っていたけど、そんなことなかったよ。1人でも5人でも、同じく自信を持って歌うんだよ!僕だってほかのメンバーが、ひょっとしたら残業で来られないんじゃ?などと思いながら、ソロで歌うときの覚悟を常に持っているわけなんだ。一人で緊張することも怖いこともない。揃わないと不安だなー、の「甘えん坊」は卒業しよう。

ec03 「翔一」はまたパワーアップして、言葉がびりびり伝わってきて、グルーブが十分に打ち出せていた。ギターもオベイションに替えてきたから、2台の音質の差が重さにもになっていて良かったよ。まだエレアコのプリアンプとトーン・コントロールに慣れていないと言っていたし、お店のアンプを借りているので確信が持てないんだね。今日も大風の中、飯能駅でストリート・ライブをやってきたと言う。筋金入りのファイターであるね。歌のフィーリングがしっかりしているので20代後半かと思っていたら、失礼、23歳だそうだ。培ったものが現れているんだな。道楽でギターを持っただけのお坊ちゃんではない。しかし、よく見たらやっぱり童顔でした。

ec04 「T-ZO」ティーゾー。ともぞう(女性)と、正ちゃん(男性)この不思議に暖かいパフォーマンスの二人組みは、じつは夫婦じゃないのだ。そうだと思い込んでいたのは、ほのぼの力の抜けた緩い空気を持っているからで、これは男女がバンドを組んですぐに出せるものではないからね。ビートルズの渋い選曲を、ウクレレとピアニカでやるというのが実にスリリング、なのにゆるいのだな。完全コピーして上手に聴かせるビートルズ・コピーバンドはいっぱい聴いたけど、これは違うよ。声がすごくジョンレノン的で良いし、アレンジのおいしいところはちゃんとピアニカで再現しているのだけど、まったくビートルズじゃない「T-ZO」なのだ。
 という4組が集って、お客さんにとってはなかなかてんこ盛りの面白い2時間45分であったことでしょう。僕も、たくさんのバンドが並んでいるのは大好きなので楽しかった。飯能・入間界隈の面白い連中を集めて、ゆっくりなスケジュールで、10バンドくらい聴いてみたいものだと思っているのです。永くて疲れるだろうって?いーえ、楽しい時間は短いよ。それに昔と違って、今のアマチュアバンドはオリジナリティーがあって、メッセージを持っていて手が込んでいるからね。ストリートで鍛えた若い人たちも、もっと上を目指してパワーを溜めている。おじさんバンドでもベンチャーズなんかやっている人たちは、きっとここには来ないしね。テレビのヒット・ポップス番組なんかよりよっぽど面白いのである。

テーマ:ライヴレポ・感想 - ジャンル:音楽

グレコ・ギターファンの方どうぞ・団塊世代、いやビートルズジェネレーションですね?
 何回か動物関係のことが続いた。命のことや虐待について・・・怒ってばかりで疲れるし、ブログを開くのが辛くなるからね。楽しみなことを書こうと思う。今日はプアマンズギター自慢の4回目です。
 「おお、懐かしい」なんて言わないでよ。グレコは今もジャパニーズ・ビンテージギターの雄であります。昨今は名工ZEMAITIS(ゼマティス)とのライセンス契約を取って、さらに素晴らしいギターを作っている。綺麗でカッコよくて、絶対欲しくなるギターです。田舎ではなかなか楽器屋になくて、本物にはまだ出会っていない。
grecorogogrecooldrogo このGrecoのロゴは、左が洗練された今のもの。右は1971年から74年限定のもの。新しく見積もっても34年前の製作というわけだ。手に入れた当時はこれを知らなくて「グネコか?」なんて言って、馬鹿にしていたのだった。・・・無知でごめんね。

grecost.head じつはこの時期の上級モデルはコピーでありながら、本家フェンダー・アメリカのギターに勝るとも劣らぬ評価を受け、高値で取引されている、らしい。というわけですから、今では自慢のギターであります。(現金なやつでしょ?)
 このグネコ・ギターを僕は3本、いつのまにか持っていた。そんなに高いものじゃないが、前に←「ギター自慢(2)」で紹介したストラト・キャスターモデルもそう。重たいボディーでサスティーンの効いた生音。5点セレクターとディマジオのハムバッキングPUに改造してある。

greco3greco4 ←こいつも「Gneco」いや「Greco」だよ。フェンダー・プレシジョンベースのコピーだ。でもちゃんと重いプレシジョンの音がして、アレンビックの良いやつを持っている友達がラウドなセッションをするときに借りに来るほどである。
 これもそろそろ、イクイップメントを交換してやらないとノイズが出始めている。ボリューム・ポットやジャック部分はそれほど高価じゃないから、ピックアップ以外の改造や部品交換は安くてとても楽しみな作業なのだ。磨いたり撫でたり、ストラップをいろいろ変えたりするのも楽しいね・・・
 そう、ここでは弾くほうの話はしないのだ。

greco1greco2 ←こいつがお気に入りのリッケンバッカー・モデル。コピーというよりも、もどきである。木部のみで金属部品のない状態で、捨てるというのを貰ってきて、純正部品をマウントした。本体が微妙にリッケンバッカー仕様じゃないところがあって、デザイン的には独自のものになってしまったのだが・・・でも音はカリッとサクっと、中身はふっくらな大好きな音だ。初期ビートルズの曲のリズム・ギター、だと思ってください。デモ・テープなんかをちょっと作るときはダイレクトでMTRのラインに突っ込んじゃうのだけど、ちゃんと暖かい音が録れるから嬉しいのである。

 ・・・これらのギターには1本1本手に入れたときの物語があるのだが、この話は長くなるよ。話の長いオヤジは嫌いですか?じゃあ、それはまた今度です。

テーマ:趣味と日記 - ジャンル:趣味・実用

餓死する犬のアート/コスタリカのギジェルモ・アバクク・バルガスだ!
[2月20日の追記]:署名数が41万を超えた。初めて見たのは39万台のときだった。トップに、在りし日のこの子の写真を貼っておくのは辛いね。訪問者さまからも同様の思いが・・・通常の日付に戻して下げていきます。どんな形で終結していくのか、監視を怠りなく。

 作家の母国、コスタリカの大使に抗議のメールを送ったところ、
「貴重なご意見どうもありがとうございます。当館の今後の執務に活かしていきたいと思いますので、今後とも宜しくお願いいたします」・・・という返事が「大使館広報」から来た。先に抗議したエマママさんの所にも同じ文面が・・・とりあえずの、こんな定形文のコピペでは済まされないよね。

[[2月21日の追記]:ネコ繋がりの女性から電話を貰った。日本の新聞やTVニュースがこの件を報道しない、と怒っている。新聞社に抗議の手紙を書くというのだ。「大使館のメールのように無視されるかもしれないけど、ぜひやっておくれ」と言っておきました。母性は強さだ。健闘を祈る!

餓死する犬 先日、お狂さんのブログではじめて知った、動物虐待に対するネット署名です。 「ハッピー・ラブズ」他、多くのサイトで紹介され協力を要請している。
 「ギジェルモ・アバクク・バルガスなるコスタリカ出身の『アーティスト』が、飢えた犬をアート作品として展示した。誰かが犬に餌や水をやることを彼が望まなかったので、哀れな犬はそこで死んだ。極悪非道な(この)男は何人かの少年に犬を追わせ、彼に引き渡す汚い仕事に対して金を払った。犬が死んだこのイベントにおいて、男は『ホンジュラス中央アメリカ・ビエンナーレ2008』の自国代表に選ばれた。署名運動サイトはこの男をボイコットし、ビエンナーレに参加できないようにするためのものである」
署名サイト:http://www.petitiononline.com/13031953/petition-sign.html?へ行って下さい。
 あなたの名前(ローマ字)とメールアドレス、居住の町の名前(市・県をローマ字で)国名(japan)を書いて、「Preview your signature」バーをクリック。次ページの「ApproveSignature」をクリック。
署名←署名サイトはこんな感じ。40万を超えて続行中です。でも文字が化けていて、英語だかなんだか・・・トップページはスペイン語らしいが、解りにくかったです。これを参考にして欲しい。

 ヨーコ・オノは時間を見せるためにりんごを腐らせたけど、この(アート?)作品はそのパロディーだとしても非常に低劣な駄作ですね。発想自体が貧相であり、インパクトに欠ける。おろかなアイデアを考え付いた作家よりも、これをアートだと認めて展示したイベント主催者と、眺めていた鑑賞者の心根を疑う。このような無惨なものが二度と評価されないように、祈り願います。
※一時すべてのコメントが消えましたが、数時間後に復旧。(びっくりした!)
今日、すべてのテキストをバックアップしました。(ホッ!)

テーマ:許されない出来事 - ジャンル:ニュース

少年少女合唱団と吹奏楽団の競演。埼玉
suiso

 昨日(17日)、狭山市の市民会館ホールで、友人「太郎」が指揮する少年少女合唱団のコンサートがあった。狭山・入間・飯能、3市にそれぞれある合唱団。子供たちの、成長のためのライフワークである。僕は子供の声が好きだし、太郎はわが楽団の大切なメンバー、ピアストでもあるから、隣町まで応援に行ってきた。
 この子たち、普段はこまっちゃくれておませなお姉ちゃんと、生意気で言うことをきかない悪ガキ・・・かもしれないが、こうして一生懸命に歌う姿はほとんど天使だね。声変わり前、10歳までの男の子の声は、女の子とはまた違う切実な響きがある。それは男性の僕にとって、遠い少年期の憧れや、セピアの記憶を含んでいるからだろう。選ばれ、完璧に訓練されたウィーンの少年合唱団なんかより、歌いたい!と言って集まり、ただ懸命に歌うこの子達のほうに、僕は魅力を感じる。もちろん声も可愛いが、幼い歌いまわしと、少年らしい初心(うぶ)な「かつぜつ」で発声される言葉の力が、大人たちの穢れた心に浴びる清浄なシャワーのようだ。すばらしい合唱だったよ。太郎の指揮も堂々たるものだった。年末年始の寒い中、何回か降った雪にはばまれながらも、家族に応援されて皆んなで集まり、頑張って練習したんだろうなー。
・・・なんて思うと、いかん、もう1曲目で涙が出てきた。
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 メインは県で3本指に入る埼玉吹奏楽団だ。期待通りの厚みとパワー、タイト感。子供たちの声にもまして、僕はブラスの音が大好きである。聴いていると、耳だけじゃなく体中が喜んで、疲れがすーっと抜けていくのが解る。明るくて煌めきのある音の粒が、分子レベルで僕の細胞を揺さぶり、全てが蘇るような気がするのだ。 
 この写真は最後に行われた、吹奏楽と合唱のコラボレーションである。後列のヤマダイに並んで緊張しているね。でもその声はラッパや太鼓に負けず響いていた。突き抜けた周波数の天使の歌声と、楽団の重い音とのバランスがじつに気持ちよかったのだ。懐かしい「唱歌のメドレー」「翼をください」。アンコールでは勇壮なアレンジで「母」が演奏された。この難しい詩の内容が、子供たちの説得力でさらに深い意味を持ち、迫る。
・・・この曲のとき僕はもう、滂沱と泣いていた。

テーマ:ライヴレポ・感想 - ジャンル:音楽

動物の生きる権利・また・食肉動物達の命について。
f.buruburuprice この小さなフレンチ・ブルドッグの値段、23万8千円が高いのか安いのか、僕には解らない。ペットショップ通で純血種ブリーディングに興味のある人はどうか教えてください。
  近くの雑木林を切り開いて、こないだオープンした巨大ホーム・センター内のショップで生体展示販売をしていた。十数匹の子犬が並んだガラスケースの中で、ほとんどの子が力なく眠っている、または目を閉じてじっとしている・・・。僕は一人で遊んでいるこの子を、しばらく眺めていたんだ。まだ生まれて8週目くらいかな。本来なら母犬の胸の中で、兄弟犬との遊びのなかで、愛情や群れ社会のノウハウを覚え、育つべき時期だと思うんだけど。ペットショップはどうしても悲しくなるので、猫のオシッコシートを買い、サンプルのカリカリを貰って早々に引き上げた。
 もう二度と、ここには買い物に来ないだろう。僕には、この子たちを救うお金がない。どうか優しい人に買われていくのを願うだけです。
 トップに掲げた「餓死する犬」のことにも関係がある。愛玩動物、または捨てられたペットの権利ということ。人間にだって、平等な権利が与えられているわけじゃない。アメリカでは黒人たちが、日本ではアジアの人々が、正当な権利を勝ち取るために今も闘っているのだから。そしていつでも権利とは、闘争の勝利と犠牲のうえに、しぶしぶ与えられてきたものなのだから・・・。愛玩動物に生きる権利を与えることは、良識ある現代人の自然な要求だと思う。いわんや、虐待を許さないというメッセージは、健康な現代社会人の当然の主張である。虐待・遺棄・致死に対する罰則を作った行政に対しても、同胞市民に対しても、またアーティストやブリーダーに対してもだ。
 いっぽう、家畜や食肉用動物の命。世界にはまだ居るだろう、使役のために生かされている牛馬の魂。趣味のハンターの狩猟対象となる鳥獣の保護。また害獣としての駆除。
 法的に遵守されたこれらの殺戮はどうなんだろうか。命を捧げることで人間に貢献する動物たちの権利はどうだろう。たまに、愛玩動物の生死と食肉動物を一緒にして「肉を食べているくせに動物愛護なんて、矛盾している・・・!」などという議論に持ち込む人が居るが、人間が決めたこの差別は、あってしかるべきなのだ。片方には歴史の中で神聖を与えて崇め奉り、生きて人間に貢献することを期待する。もう片方には死んで糧となり、人間に貢献せよという。この大きな矛盾はどうしたことだろう?
[2月18日の追記]:この肉食の必要悪肯定に対する、飛躍した結論に「とらちゃんのおとうさん」の考察(コメントより)を付記します。人類の歴史として、また宗教との関連について、筋の通った文脈になりました。
ココカラ>・・・宗教の違いというよりも、その基盤としている文化・風習・風土の違いと言えそうです。例えば、江戸時代の日本で肉食が行われなかったのは仏教の影響とされているのですが、もともと降水量が多く海や川に恵まれ、稲作と漁業が主な産業で、畜産には向かない日本の風土を抜きにして、それは考えられませんね。反対に砂漠地帯が多く、わずかな雨しか降らず、農耕が困難な国々では、当然、少ない牧草を生かした畜産が盛んになる訳で、そうしたところ、たとえば中東に発生した宗教がユダヤ教やキリスト教さらにはイスラム教なのです。つまり後から宗教は肉食と結びついたのです。こうした肉食の文化では、家畜を家族として大切に育て、祭事などでは神から恵みとして感謝して屠り、肉ばかりではなく内臓や骨、血に至るまで有効に活用します。・・・<ココマデ
 そうでなければ、人類は生きてこられなかったというわけなのだね、仕方がないことなのだ。ならばこそ、死んだ動物にはその魂を尊敬の対象とされ、感謝と供養をもって鎮魂されるべき権利がある、と僕は思うのだ。
 しかしこの議論は、偽善だという反論と、生物学的な種ごとの差別化を持ち出されて、迷路に迷い込み本質から逸脱する。話は植物の球根や種子の生命尊厳にまで及んで、とうとう食物連鎖と弱肉強食の頂点たる人間自身の、矛盾と向き合って振り出しに戻るのだ。
 このことを解釈し、すっきりとしたくても、じつはどこにも規範がない、というのが僕の目下の悲しみでありますが・・・。
 ここはやはり、宗教・哲学・生命の、魂の問題として考えてみるしかないのかもしれないね。すべての生命に苦しみがあり、痛みを感じるのだと仮定して、獣魂祭・供養の石碑、それも針供養や人形供養などの無機物にまで及ぶ鎮魂という形で、その心痛を解決していくしかないのかもしれない。
 日本人にはその辺りの心根の優しさと、食への感謝を伝える文化がある。「精進料理」を美しいと思う一方で、さばかれた魚がまだ生きて苦しんでいても「旨そうだ!」といえる免罪符ができているのだ。だからこそ合掌し、こうべを垂れて「頂きます」「ご馳走様でした」と、本源的な生命への祈りの言葉を口にする。「謝肉」と「神への感謝」を欠かさない欧米の食事の祈りは、より宗教的意味が強く、これとは似て非なるものかもしれないけども。
 魚類の鳴き声と表情の希薄さが、日本の魚食文化を支えているとも思う。よく、モンゴルへ行ったテレビ番組の女性タレントたちが泣いているね。旅人の歓迎のために殺される、表情があってふわっとした、鳴き声の可愛い羊の死を正視できないからだ。これも歴史と文化の違いに過ぎないのではないかな・・・。日本の肉がプラスチック・パックに入って売られているのは、この女性タレントの罪ではないよ。昔は九州の僕の家でも、正月に、飼っていた鶏を絞め殺して食卓に載せた。毎日餌を与え可愛がった「家畜」であるが、決して今で言うところのペットではない。
 僕は小食であるし、不経済な食肉を貪ったりはしないが、奪われた命の糧を食べることによって生かされているものだ。それは完全な菜食主義者とて同じことで、この差を論じるのは互いに偽善をあげつらうだけで不毛である。人類が命を食べなければ生きられないのは、他の動物種の命と同じ悲しみなのだ。これを否定すれば、人類の退化と滅亡を望む極論へと、みずからを導かざるを得ない。仏教思想を持ち出すまでもなく、虫けらや石ころにさえ神聖と魂を見出すことは、人間として可能なことである。そしてそれは、美徳でさえあるのだからね。

テーマ:日記 - ジャンル:ペット

動物愛護管理推進費・3億5000万円、少し希望が。
 「餓死する犬のアート」には、皆んなの怒りと悲しみがたくさん寄せられ、ネットのあちこちで賛同の輪が広がっているね。そして、このネット署名はまだ続行中です。
 親のしつけが悪いとか、高度発達障害だとか理由があって、子供が動物を虐待するのは、じつはひどい社会と大人の写し絵なのだ。動物が可哀想だ、よりも、いま人間社会が駄目になっている、という視点がなければいけない。虐待した彼らには罰則を適用し、社会的制裁を加えて再発を防ぎ、本人は研究対象として社会心理学の発展に寄与してもらえば良い。人間に潜む、暗闇の部分を体現したその子を憎むより、現代が暗闇のようだということに対する警鐘として受け止めなければ、問題は解決しないだろう。
 しかしこのアーティストは違う。やつはこれを生業(なりわい)とし、ローカルであれ国の評価を受けている。アート会場、イベント主催者、審査員、すべてプロがやったことであり、NOと言わなかった鑑賞者たちを含めて、これを許すわけにはいかないのだ。
 怒ると疲れるから、すこし希望の持てることを書こう。
 飼えなくなったり、生まれてすぐに捨てたりして、各地の動物センターなどが引き取った犬と猫、保健所が捕まえる野犬や迷い犬。合わせて17年度で42万匹だって!助かるのは1割以下で、39万匹がガス室で殺処分されているのだ。
 この預かり(生存)期間を長くして、新しい飼い主が見つかるチャンスを増やそうというので、政府は地方交付税を充てて支援すると決めた。犬猫32万匹、3日分の餌代と、里親が見つかって譲渡するときのワクチン代。総額3億5000万円だ。「動物愛護管理推進費」と言って、今年度から盛り込まれる。しかしこれは一般財源と呼ばれる、使い道を強制・限定されないお金だから、環境省の周知徹底が必要だし、僕らも声を上げ監視して、正しく動物のために使ってもらう努力をしなくてはいけない。間違っても、どこかのお馬鹿役人のマッサージチェアなんかになってはたまらないのだ。 

現在、センターに収容された犬・猫は3日から1週間で処分されると言う。これが6日から10日に伸びて、処分を待つ動物達の恐怖の日々が延長されるだけかもしれない。しかし、愛玩動物はショップで買うものだと信じている「ペット・ユーザー」の皆さんに、里親という選択肢の時間的チャンスが拡大したことを知ってもらえれば良いね。殺処分から里親譲渡へ。流れを変える動機づけになることを期待します。

kai1 おりしも夕べは「ねこの会」定例会でした。新しく発足したメーリング・リストで連絡・報告をしながらのTNR活動。やはりご婦人が中心戦力として活躍してくれている。バレンタインデーなのでチョコレート振興会の陰謀に乗っかって、チョコを食べ食べ賑やかに。
 「自治会から不妊手術の助成金が出るようになったけど手続きが煩雑だね。今年はもっと会のお金を集めなくてはいけないね。食べ物やグッズを売るのは大変だ。みゆきさん、猫のチャリティー・ライブをやってくれない?」・・・
 猫のためならエンヤコラ!である。
 こちら側には僕とお茶屋のTomaさんが居るんだけど、男性陣を中心に会議らしく、議事が進行するのは初めの15分だけ。やがてそれぞれに関わった猫の「猫(人)となり」や、各地の野良猫マップと餌やりさん情報が飛び交う井戸端となる。皆んなで怒りと涙を共有しながらも、怒ったり、泣いてばかりいても猫は救えないのだと・・・。頑張ろうね。まだ寒いから、風邪を引かないように気をつけて。

テーマ:野良猫と地域猫 - ジャンル:ペット

サンフリーライブから入間市民音楽祭・僕らのギター体験ワークショップ。
miyuki/shhhouse1 昨日、毎月の第2日曜日、恒例のサンフリー・ライブです。スタートが19時からになって、出演者もお客さんも集まりやすくなったと思う。この日も若い「さるお」のファンや、入間市民ボランティア界の重鎮、熟年の「みゆき楽団」ファン?が来てくれた。ハウスのスタッフさんたちも仕事を終え、ゆっくり聴いてくれる。
 「はじめて全部聴けて、すごく良かったよ」と言ってくれた。 
arinko1/2  ←そこへ飯能のパワフル・ユニット「ありんこ」を迎えられて良かったよ。「まゆ」は看護士試験の猛勉強中だって。今夜は「ゆういち&さき」のデュエット。「今日は“まゆ”が居ないもんで・・・」なんて、「ゆういち」みずからが言ってはいけないぞ!「さき」のボーカルは素直にまっすぐで、「まゆ」とは違う個性、とても良かったよ。自信を持って行こうな。
 土曜日に「イースト・コート」に出た「あつし」もそうだが、女の子のメンバーのなかに男性一人という不思議。男としての自意識があまりないという、それは長所でもある。「あつしバンド」の女の子ドラム・ベースは残念ながら解散してしまったが、ゆういちは3人の女の子と仲良くうまくやっているね。バンドとは一人ずつの個性にして人間模様なり。僕の周りがおじじの男くさいのも、僕の個性だろうか?僕だって「みゆき」という名前だし、女性と居ても性別の意識はないんだけどね。
saru1 ←「さるお」も相変わらずパワーがある。久しぶりの演奏だというけど、1月27日のMOJO以来だな。聴くたびに良くなるハーモニーと歌の力、言葉の表現の説得力。さわやかに幼い恋の歌ではあるが、おじさんの胸には遠い日の記憶が甘酸っぱいのだ。彼らも社会人として旅立つ悩みと戦いの日々、歌声は人生と共に深まる、を感じさせてくれる。とまあ褒め殺すのも可哀想なので、ダメ出し・・・ギターが上達しませんなー(笑)でもそれで良いのだ。30年も弾けば、わが楽団の「たるさん」みたいに渋くなる。ひとりコンガだけが一皮剥けてカッコ良かったぜ。ギターのお二人には励ましを込め、新品のギター・ストラップをプレゼントしておいた。
ongakusai3 今日、「入間市産業文化会館」で、コンサートとストリート・ライブと楽器体験ワーク・ショップの一日「入間市民音楽祭」だ。僕と「ひとし」「countのハル君」が参加して、ギター体験コーナーをやった。タイコがうるさいだろうと思って、ロビーをおん出て外でやった。今日は暖かい陽射しが戻ってきている。結局ずっと歌っていて、体験ワーク・ショップのほうはいい加減であった。初めてギターを触る子に、コードなんか教えてもしょうがないからね。ongakusi2ongakusai1めちゃくちゃに弾かせながら一緒に歌って、ライブの楽しさを教えてやる。少しやる気のある子にはいきなり「オープン・チューニング」の裏技を教えちゃうのだ。しかしどうも「ひとし」のジャンベ・セットの方が人気があるね。子供達が天才的なノリで手が痛くなるまで叩きまくる。女の子達も、叩けばちゃんと音が出るし、ひとしが優しいので集まってくる。いつの間にかタイコのワーク・ショップになってしまったけどね・・・。
 いよいよ、楽器体験の発表会がホールで始まった。小さいバイオリニストの演奏や、小母さまがたのボイストレーニングの成果、合唱を聴かせてくれる。フィナーレには皆んなとセッション。「翼をください」を歌ってお開きだ。
 これには僕もしっかり、ギターで乱入しましたからね。じゃあ、来年はメインステージで歌いますからね。

テーマ:ライヴレポ・感想 - ジャンル:音楽

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