みゆき楽団歳時記
MIYUKI-BAND みゆき(おじさん)のアコースティックバンド活動・猫イラスト・猫自慢・フライフィッシング日記・工作・・・散らかってます。ごめんなさい
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新カテゴリー「ギター自慢(1)」・古いギターとの新しい出会い。
 バンドブログの人たちが必ずやるのが「ギター自慢」である。僕は「猫自慢」ばかりしていて、大切なことを忘れていたのだ。演奏はしないけど、コレクターで楽器博士なんて人もいる。そんなサイトをあちこち見て歩いては、羨ましがったり勉強したり。ギターのウンチクはバンドの楽しみの半分を占めているくらい。そこで新しく「ギター自慢」のカテゴリーを作った。「家を売って買う一億円のバイオリン」・・・じゃなくても、僕らの楽器は生き方を表現する大切なステータスだ。野口五郎君や松崎しげるみたいにビンテージばかり100本持っています、なんて人はギター博物館でもやってもらうとして。ここでは僕らプア・ミュージシャンたちの、出会いのメルヘンを感じさせるギターの紹介をやって行きたい。
 僕は今、3本のアコースティックギターを持っていて、1本は息子に託してある。同じく3本のエレキギター。そして1本のベースギターと2本のマンドリン。がんばって買った「フェンダー」と「マーチン」もあるが、ほとんどが、友達に貰った。ゴミ置き場で拾った。倉庫の奥から発掘した。フリマで値切りたおした。なんていう、まさに「特別」なやつばかり。しかし、リサイクルだとか、ジャンク再生品だなんて言ってはいけない。ギターリペア術というのは、木工・電気・音響工学を含む高度な工芸のいちジャンルであって、そこには「技術」も「道具」も「歴史」も、「愛」さえもあるのだ。
 (少し前に、アーチドトップギターの名工「べネデット」の工房と作業風景がテレビに写った。山本耕史君の「ウルルン滞在記」だったが、僕は内容などそっちのけで、工房と美しいギター製作過程の映像に夢中になった。100万円を下るギターはない、こんな巨匠が手の内を見せるなんて!日本のテレビもやるもんだ。)
 僕の持つギターの本数が多いかどうか、価値観でずいぶん変わってくる。僕にはまだ欲しいギターが何本もあるが、かつて「お狂さん」のブログで、物質の価値と「足るを知る」生活について論じたおりだった。僕と同じくギター好きの、彼女のご主人のコレクションが槍玉に上がった。
 「シンプルライフを貫いてもギターは増える。どうせ弾くのは1本なのに・・・」というわけだ。
 いーえ、抱えて弾くのは1本でも、愛する気持ちは無限大でありますぞ。女性はお出掛けに一個しか持てないくせに、クローゼットの棚にはいくつものブランド・バッグを陳列したがる。
 物が溢れかえって、「もったいない」というスピリットをよその国から教わるような日本では、家電も車も洋服も、修理・補修などは絶対にせず、全てはガラクタと成り果てる。それを思えば、大切にされ修理を重ね、いつまでも良い音を奏でる楽器たちは、すでに単なる物ではない。アート作品であり、演奏者の相棒であり、彼の宝物なのだ。 

 バンドの歴史の中で、本当に縁のある巡り会わせで手に入れたギターたち。あるいはローンを組んで、やっと払い終えた憧れの名品。これら、はげしく自慢すべきもの。
 そろそろ長い能書きはやめて最初の一本を・・・ 
y.s2 このギター、うちのマンションのゴミ置き場で、真夜中に僕を呼んだ。「粗大ゴミは自分で処理しましょう」という管理人のメッセージをぺたりと貼られ、捨てられる日を待っていた。僕は持っていた燃えるゴミの袋を放り投げ、そいつを抱えて走って帰ったのだ。
 ←このS・Yのロゴは見慣れないが、サウンドホールからはS・ヤイリのサインが見える。ビギンの「一五一会」で有名なK・ヤイリ(一男さん)の叔父(貞夫さん)の工房だ。y.s 
 マーチンのD?タイプを意識したライン。音は乾いた鈴のようでとても良い。しかも相当弾き込まれている。フレットワイヤの減りを見て解るのだ。「良いギターだよ」と言ってあげたけれど、貰った人はその価値を知らなかったんだろう。錆びた弦が素人っぽく、ひどく下手糞に巻いてあった。ゴールドの糸巻ペグにはmade in westgermanyと書いてあるから、ドイツ統合の1989年以前の製作だろう。ピックガードが鼈甲柄で曲線美なのもなかなか良いね。大切に磨き込んで錆を落とし、一人暮らしの息子に預けた。写真は彼の部屋で撮って送ってもらったものだ。捨て猫みたいに僕を呼んだ可哀想なギターであった。息子よ・・・たまには弾いてくれているだろうか。
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ブラウザ(ファイアフォックス)のバグ報告、じゃありませんよ。
myblogff ファイアフォックスで開くとこうなる。
僕のブログはFC2の共有テンプレート「yellow」です。いくらか改造していますが、どなたか下記の症状の原因と解決策をご存知の方、どうぞアドバイスを。
・・・[30日追記]:とりあえず白抜きでも見えるように背景を茶色にする荒業!で対応しました。雰囲気が変わってなかなか良いでしょ。
読めますか?


 いつもブログを覗いてくれるごひいき様で、ファイアフォックス・ユーザーである女性が報告してくれたのだ。先週末から僕のブログが真っ白けで読めないというじゃないか!
 こないだ、ヘッダーに置いてある「みゆき楽団・ライブ情報」のフォント指定などのタグをいじったのです。そのときに、なにか書き損じをしたのに違いない。僕もわが拙ブログをファイアフォックスで開いてみたら、仰るとおり読めないのだ。これは消えているんじゃなくて、文字が全部白くなっていて背景色に同化しているのだった。で、テンプレートを改造前のオリジナル「yellow」に変えて更新してみるが、やっぱり見えません。あれ??では最初から見えなかったはず??そうではなくて、こないだまで見えたというから不思議である。いま解決策を研究・勉強中であります。
 ご迷惑をかけますが、ファイアフォックスで見てくれている方は(見えないといってるのにね・・・)マウスドラッグで反転すれば見えるので、「Ctrl+Aキー」ですべて反転して頂くか、ツール・オプション・コンテンツの「配色設定」でテキスト色と背景色にグレイと白などを選択して頂いて、と書いてるこの1行も見えないと思うのだが・・・。報告をくれた彼女には「IE7」の導入を薦めたけれど、これは身勝手というものでした。なんとか努力して改善しなくてはいけません。頑張ります。
 前の記事に「ブログを更新することは脱皮であり、カタルシスであり、創造であり、リハビリテーションであり・・・ロックである」などと自分を鼓舞するために、とはいえ格好の良いことを書いた僕が、そのはしからこのていたらくである。いつも「ご無沙汰でした」なんていう更新間隔では有言不実行になってしまうと思って、こまめに開くようにしていた矢先。
 こういったブログの不具合というか(僕のは改造失敗の自業自得なのだが)思うようにいかない性能面には誰でも少しは困っているものだね。フォーラムやQ&Aのサイトで解決する場合も多いけど、サーバー側のデータ消失などにはお手上げであるね。コメントを入れたブログが「コメント消えました?」といって謝罪しているのを読むとなんとも可哀想なのだ。「良いよ良いよー。ぼくのコメントなんてたいしたこと書いてないんだからさ」・・・僕もテキストと画像は保存すべきかな?と思いつつ、消えちゃったら消えちゃったで良いかなー、などとも思い、放り出したまま。大切なものはいつも心の中にこそある・・・なんてね。ブログは秘密のノートに書いた日記じゃない。たくさんの人に読んでもらいたくて、ネットに公開しているんだもの。ここに集ってくれるブロガーさんは、忙しさや健康の快復など休む理由を教えてくれるから、励ましコメントを入れて再開を祈れば良いのだけど。「やむをえない消失」ではなくて、理由も解らずにぷっつりと閉じられてしまったり(これは心配だし、とても寂しいことだ)フェードアウトして時間が止まってしまったり(病気をしたんじゃないかと思うよ)それでも時々見に来てくれる人が居るかもしれない。だからこそ、ナシノツブテはしないように、と願うだけです。

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所沢「MOJO」1.27ライブ報告。
 やっぱりバンドライブは面白いね。こいつらはテレビに出たらやばいぞ、と思わせるような、爆裂した個性派がいっぱい見られる。ていうか、こういうところでしか見られない。
mojo2「ノーネームズ」
 オルタナティブミュージックというジャンル分けも意味がない。分類的に名付けた時点でオルタナティブじゃないけども、既成の表現方法やアンサンブルにとらわれず、全ての音を音楽として捉えることか。あるいはジャムバンドという呼び方。インプロビゼーション、流れで即興的な演奏をするバンド。パーカッション2人、シンセとボイス(ヴォーカルじゃない)の女性、ギター、サックスおよびフルートの5人。1時間の題名のない1曲を演奏した。ささやきから叫びまで、息遣い、フィーリングは大きく振れる。転生輪廻か、涅槃と煉獄か、スピリチュアルな暗示があって、ときどき出てくる平安や歓喜。でも、感じ方は聴くほうの自由だ。今夜の僕の気分である。

mojo3「国分寺experience」
 貫禄のロックバンド、エクペリだ。結成20年だって!歌姫「おちょこさん」のパフォーマンスはカッコ良いね。1曲だけギターを弾いたので、すかさず撮影。でもご覧のとおり、ギターにしなだれかかる艶姿、色っぽいだけだぜ。
 後ろの3ピースのリズムはタイトでストロングですごいし、「ゆきちゃん」のファースト・フィンガーのギターが唸りまくり。フレーズの多彩さ、引き出しの多さって言うか、そりゃあすごいものだ。聴いて悔い無し、おなか一杯になりました。
 でも、僕はスロー・ハンドなギターも好きなので、後半ゆったりとフォーク・バラード?っぽくなったとこが気持ち良かったな。散歩?っていう曲だったかな。
 日本のジャニス・ジョプリンみたいに叫ぶかと思うと、2児の母らしい優しさをも見せる「おちょこ」。変幻自在のバンドであるよ。mojo5
「ひのこバンド」
 今回は前の「はらっぱ祭り」より少なくて(それでも?)9人編成。リズム隊3人にエレキが3本、トランペット、オルガン、マンドリン。わが「みゆき楽団」の太鼓「ヒトシ」は立つ場所がなくて、くじけやがった。でも、オープニングでセッションしたから来た意味はあったかね。
 どっちみち、この“巨大オモチャ箱ひっくり返し的”な爆音の中では、ジャンベ生音は聴こえないだろうけどな。爆竹・連打タイコ爺さんの「アカーモ」が一番前に陣取ってちゃあ勝てないぞ。
 わが楽団の「タルさん」もフェンダー・スラトキャスターにブギーのアンプで参戦したけど「ヤーズのアリ」と「ひのこバンドのマスター」のマシンガン・ギターに連射され、とうとうソロを弾くことができなかった。
 僕のエレキ・マンドリンもコンパクトアンプしか持っていないから、ボリューム・トーン・フルテン(つまみが全部10!)でも太刀打ちできません。はじめて聴いた「さるお」君たちが「物凄かった!」と言うとおり、普段はボリュームがでかいほうの僕らも打ちのめされる。しかし倒れても、即座にふらふらと立ち上がり「今日はこれくらいにしといたるわ!」と凄んで挨拶するのが、バンドバトルのルールである。

mojo4「さるお」
 バンド歴30年・40年のツワモノのあいだで熱唱。60近いオジジたちに、ハタチのパワーを見せてやりたまえ!というわけで、オープニングを3曲歌ってくれた。ハードコアなメッセージが多い前世紀のロッカーには、彼らの素直なラブソングはさわやかに響くのだろうね。「爽やかだー、爽やかだー」と言いつつ温かい目で見てくれた。良かったな。

mojo1僕ら「みゆき楽団」としても、オープニングアクトでちょこっと歌ったんだけど・・・まあそれはご愛嬌。いつかこの(不思議な連中が集まるわりに、お店の雰囲気は穏やかな)「MOJO」で、アコースティックな緩?いライブを組んでやりたいです。

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雑想・雑記・夕空の写真からの回想
yuyake1 関東に雪の降った前日の夕空の写真です。寒い仕事場のベランダでゴミをかたづけ、帰り支度をするときに撮った。この灰っぽいオレンジ色には、空からなにかが落ちてくる予感がある。「荒ぶる気象のエネルギー」が重たく雲に溜まって夕陽を包み、天候が急変する前ぶれがびりびりしている。なんてこともないいつもの町も、時のはざ間に掴まって、動きを止めたみたいに見えるのだ。
 名付けようのないこの時刻、トワイライトという良い英語はあるけどね。この一瞬が永遠に空に染み付いてしまうような、または突然に時間が巻き戻されて、宇宙がタイムスリップしてしまうような、なんだか僕にはとても怖い時刻なのだった。すぐに感覚は戻り呪縛は解けて、ふたたび太陽が沈みはじめ、地球は回りだす。けれども、連続して見えるその一億分の一の刹那に、じつは宇宙が、ピタリと止まっていたのかもしれない、なんて思うのだ。天使が奇跡を起こすため・・・(または超能力を持った時間旅行者がひとり)マネキン人形みたいにストップモーションした僕らの上空を、行ったり来たりしてやしないか。そんな気がしてしかたないのだ。
 そんなとき、日々の憂いと生活の重さが心いっぱいにのしかかって僕を落としめ、またスッとさりげなく消えていく。手の届きそうな低い空の下で、魔の匂いのする光を浴びたせいだろうか。理由のない胸の痛みと、答えのない心の乾きを僕は繰り返す。これが続いて、僕は過去に、鬱々として酒に逃げ、病院での入院治療を経験した。4階の我が家のベランダから下の川の断崖を見おろして、ぼんやりと死について考えた。
 もう今は酒で憂さを晴らすことも、バカ騒ぎして、かえってストレスを蓄積することもない。しらふで平常で、命は軽いものになった。心身の嗜好品への依存や、まして物的豊かさ、酒とドラッグ。そんなうわべの日常習慣を奪われ、あるいは捨てても、心が失うものなんて何もないということだよ。それに費やす時間と力は、いくらでも他の価値へと昇華できる。酔っ払いのたわごとが下手な歌のメッセージに変わっただけだって?いーや、僕のなかでは大きく違うのだ。急激に自分を変え、渇望をあきらめ、余分なものを削っていくことは、それなりの覚悟がいるからね。
 ここに一つのワークがある。音楽創作、演奏歌唱、実質的な楽団の運営とイベントの段取り、アマチュア音楽はじつに楽しいものだよ。仕事や経済の悩みも、家族の日々の安らぎも、うんざりする忙しさも、通り過ぎるその行く先をしっかり目で追って見つめられる大人に、なったのかな。遅かったな、遠回りしたな。家族にも、音楽の友達にも迷惑をかけた。少しは人の楽しみと、住む町の役に立つ人間へ、気楽でジャンクな僕からの脱出だ。なによりもこのブログを始めたことが、僕の長かった病気の生活にピリオドを打った。何かを考えてタイトルをひねり出し、テキストと画像を準備して記事を更新する。これは脱皮であり、カタルシスであり、創造であり、リハビリテーションであり、学びであり、えーとそれから・・・ロックである。

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猫のねすがた・丸く小さく柔らか、可愛い。
aozora 僕の敬愛する宮沢賢治さんは、動物にとどまらず草・木・鉱物から、果ては電信柱にまで、人間の個性や感情を持たせてしまう人だ。「月夜のでんしんばしら」のドッテテドッテテの行進や「シグナルとシグナレス」の恋物語がそう。
 先週の暖かだった金曜日、仕事場の窓から見えた風景。こんな青空の電信柱に出会えば僕も「真っ青なマントに雲の飾りをまとい、とくいげに背のびする“でんしんばしら”が・・・なんていうストーリーを思いつきそうなものだけど、そんな貧しい想像力にがっかりするよりも、賢治さんのお話を思い出すほうがずっと良い。その童話の空は湿って寒く、夜明けの暁光や、月夜のにじんだ光の深遠が似合うのだ。それは僕の見る大人しい空ではない。いつでも風が吹いていて、むなぐらがぐるぐるするような、ひと時も静止しない、重たく濃ゆい空気である。
marukarin 「猫は嫌いだ」と言いながら、賢治さんはその猫の感情と個性を鋭く擬人化した。また反面、賢治さんの猫は、闇とか死の世界、ものごとの裏側の語り手でもあったようだ。
 今年最初の猫自慢は、手(前足ね)で顔をおおって夢を見ている可愛い「カリン」の寝姿です。 (猫も夢を見るか?見ますとも)膝ですーすー眠っていて突然!ガバと起き上がり飛び去って威嚇の姿勢をとる。怪しげな影を探すように、きょろきょろとあたりを見回し怯えていることもある。小さいころの記憶か、暖かい母猫の胸から離されて捨て猫となり、川原を彷徨っていたころの恐怖が甦るのだろう。こんなときは可哀想で、抱きしめていつまでも撫でてやる。
 また、お気に入りの椅子で寝ていてズリ落っこちて「あ!いまだれかに突き落とされた」というシチュエーションを演じている場合もあるようだ。椅子の下をのぞいたり、椅子の背の匂いをかいだりして小芝居をする。不用意に落ちてしまったことが恥ずかしいのだろう。僕の顔をじっと見て啼く。
 「おとうちゃん、いま変なやつ来なかった?」「いいえ、なにごともありません。だーれも来ないよ」
moon4 いっぽう「ムーン」は産まれてすぐに、5匹の兄弟とともに母猫に置き去りにされた。産んだ家の天井裏ではさまって、母猫が連れ出せないまま、家主がレスキュー隊を呼んで引っ張り出したのだ。すぐにあちこちに貰われていき、それぞれが王子・王女の幸せを掴む。「ムーン」はいちばんビビリで小さな、ただ1匹の黒猫だった。だから野良として彷徨った恐怖体験はない。そのせいか、もっぱら美味しいものとか、楽しいオモチャの夢しか見ないらしく、ぐーぐーよく眠って、ときどきくくっと喉で笑っている。(猫も笑うか?笑いますとも)これはお母ちゃんのソファの背もたれの隙間に顔を突っ伏して、座ったままの無防備な寝姿。「苦しくないか?」と心配になるね。
 こうして僕が帰る時間まで、ほぼ1日を眠って過ごす。夕食後はそれぞれのテリトリーの膝やおなかでまたうとうとして、僕らが眠った後は深夜まで遊んで食べて喧嘩をする。夜明けごろにはふとんの足元で重しとなって、風邪を引きやすい僕が掛け布団を剥がさぬように押さえてくれる。
 この丸く小さく柔らかで可愛いもの。2匹で布団に来てくれるととても嬉しいのだ。そのせいで寝返りが重くてうなされても、お父ちゃんはちーともかまわない。

テーマ:猫のいる生活 - ジャンル:ペット

ライブ報告・今夜は一人のオーディエンスとして。
 僕らのホームグラウンド「飯能イーストコート」今夜は、可愛い弟・妹(息子・娘か?)バンド三つの観戦である。「みゆき楽団」全員集合。演奏はせずにゆっくりと彼らの歌を満喫した。
ecsaruo ←「さるお」の中田さるお君曰く、「やりにくいっす」。僕らがお客としてまじめに聴いていることが不思議な感じなんだろう。でも若い彼らの勢いはさすが。今年に入って6日12・13日、そして今日と4回のライブだね。その合間に練習したり遊んだり。学生であること、時間の無限の中で乗りにまかせて走っていける自由さが羨ましいぞ。
 僕ら50代おじさんのバンド仲間も、そんな時間を10年ほど過ごしたが、いまはそのダイヤモンドの思い出を胸に、生活のはざまで時間をひねり出しつつ走り続けているわけだ。気持ちは変わらずに音楽を楽しむが、生活は全員大きく変化した。家庭を持ち、子供を成人させ、仕事でも地域でも大人としてそれぞれの責任を抱えている。30年前の“ギター抱えてヒッチハイク”の旅の歌も、思い出の中の懐かしいレパートリーになったよ。
 若い彼らにもこんな日が来る、一時代だ。しきりにそんなことを思う。もう年だからな、と自虐しながらね。
ecariecari2
↑「ありんこ」よ、さあ聴かせてくれ!っていうほどの稀有なる声の持ち主。この二人は仕事を持ち、まじめな社会人としての日々の中で、ライフワークとしての音楽=メッセージを放ち続けているよ。仕事のスキルアップのための資格試験があり、ゆういちには日曜日の会議があり、まゆみには看護士としての目の廻る毎日があるだろう。その実なる生活の中で歌われるから・・・。3人目のありんこ、さきが一曲。本日の清涼剤、伸びやかで可愛い歌声とハーモニカで、遠くへ行った友達への恋歌「ひらりふわり」を歌う。

 音楽とは、歌とは、本来こうして歌い継がれたメッセージだよ。古くから、一人の思いの中で、一度だけ歌われるものだよ。その詩と旋律が、民族と地域と、世代間のつながりの中で歌い継がれ、再現されて地上に響き、星の数ほど散りばめられた音楽の星、地球。それは個々の歌い手の宝物だね。歌が流行歌となって世界中に充満し、何億もの同じ録音データが同時多発的に聴かれるのは、ほんの最近の異常事態である。だから、彼らがただ一度歌ってくれた優しい言葉と、プロが職業としてリリースする世界一のベストヒットと、どちらに価値があるのかという問いだ。しかし商品価値は?と問われれば、アマチュアの誇りにかけて、それはほとんどありません。

eccount←「カウント」今夜はいくらか落ち着いていて良かったね。ブレスが浅いのか、高音の苦しさでハーモニーがフラットするのが気になる。ギター・コーラスとマイクパフォーマンスのメインボーカルを分けて演奏しているパワー不足、リズム感の失速もある。僕はやっぱり、二人とも必死にギターを弾いて、声を限りに歌うバンドが好きだ。若さを力として息に溜め、喉も裂けよと叫ぶバンド。

 彼らは「COUNT」ではないのかな?なぜかここに集うのは、ひらがなカタカナのバンドが多いね。皆んな横文字のカッコいい名前をつけるガラじゃないけどさ。僕らも始めた頃は良いバンド名を考えていたのだ。「ひのこバンド」の一員だった僕、みゆきのもう一つのグループとして「みゆきのばんど」と呼ばれているうちに、定着してしまったのだろう。決定したのは僕がホームページを作ったとき。“みゆき”といういろんな女性の名前や“BAND”というキーワードが以外にも多いのを知った。ネット上の個性を出したいと「みゆき楽団歳時記」という、ひらがなと漢字のタイトルにしたのだ。「MIYUKI BAND」ではありません。
 「みゆき」は僕の本名です。ギターの「たる」は「ちあき」と言います。二人のユニットなら「みゆき&ちあき」女の子二人組みたいで良いね。期待して来た人は、爺さん二人を見て怒るだろうね。(笑)かっこ、わらい。

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新しいバンド友達・若き歌い手たちへ
 昨年末から風邪引きでお正月を過ごし、ガン治療の後遺症で療養中の奥さんにまで移してしまった。自分と奥さんの看病でちょいと疲れたか、歌い初めの6日「ぶどうの会新年ライブ」で皆んなに心配されつつ歌ったけれど、やっぱり本調子ではなかったみたいだ。仕事始めのこの1週間も、覇気がなくて集中できずにぼんやり過ごしてしまった。僕はやっかいなウィルスが大好きなのだろう。すぐに貰って帰って、体内で培養し撒き散らす。もう少し抵抗力を付けて丈夫にならなければいけない。
画像 166 という訳で、昨日と今日の連続ライブも終わった。昨日は「歌いまくり療法」ともいうべき荒療治で、だるさの残るままでも大変な汗をかいてはしゃいだので、今日は体が軽くなっている。おーい、みゆき爺さん(僕)。6日はタケちゃんひとしと3人だった楽団で、久しぶりのタルさん(Aギター・Vo.)やアツシ(Eギター)に会えて、実に嬉しそうな顔をしているなー。
アットホームな飯能「イーストコート」はすっかり僕らのホームになって、リラックスした演奏ができる。お店のお父さん、お母さん、店長のikuさん、カウンターのさっちゃん、いつもありがとう。
 そして、今日は続けて「駿大ふれあいハウス」でライブ。この毎月の第二日曜日は続けていこう。17時という時間を、いつもお世話になりお騒がせしているハウスの皆さんにお願いして、19時からに変えてもらった。何人か終わった頃に来てくれて残念がる友達がいたのでね。それに午後7時のほうが、メンバーも集まりやすいというからさ。たまには「ひのこバンドのマスター」が終わるころに来る。今日も手ぶらで7時に来たので、さるおのギターを借りて「みゆき楽団」とセッションを3曲。マスター60歳!腰のずっしり重たい40年モノのダウン・アースなノリが最後を飾った。爽やかに、軽やかに歌ってくれた20代の「さるお」君「カウント」君、参ったか!(笑)・・・しかし彼にも、しぶい大人のロックに憧れた20代があったのだ。あと40年!(僕ら生きてるかね?)お互いに頑張っていこうじゃないか。
・・・・・・・・・・話は昨日に戻ります。
ec2 初顔合わせの「翔一」は、飯能駅前でストリートライブをやってるパワーデュオ。23歳というから、かれらの両親は僕らよりも若いだろうか。歌う気満々のお爺たちを見て、あきれつつも気持ちよく、一緒にやってくれた。若いって良いね。歌う言葉も気持ちも、まっすぐで「ちから一杯」だ。小雨の降る寒い夜でお客さんは少なかったけど、僕らも精一杯乗って、拍手・手拍子「イェー・ヒュー!」と応援する。彼らの歌が観客の熱を呑み込んで息を吸い、いつもより強く表現されていくのが解る。ライブのパワーとはそういうものだね。彼らはきっと、このライブスペースが大好きになったはずです。
ec1 「ゆういち」はソロで歌った。彼のユニット「ありんこ」の女の子達3人も来ていたのだけど、どうしてか一緒に入って演奏しようとはしないのだ。自信の無いこと、曲への理解が足りないこと、表現するのが恥ずかしいこと。残念であるが、セッションとバンドアンサンブルの経験が浅いというのは、音楽を楽しむことに踏み出せないひとつの理由となるだろう。僕らはキーとリズムさえ掴めば演奏できるし、サビのコーラスを一回聴けば2回目からはハーモニーを歌うことが出来るのだが。難しいことではないよ。ライブテイクのクオリティーを取るか、瞬間の音の出会いのスリルとグルーブ感を優先するか?もちろん僕らは楽しいほうを選び、楽器を持ってきた奴らは全員ステージにあげて演奏する。「ありんこ」4人の音を空に投げてごらん!新しい音が聴こえてくるよ。つぎのライブ(19日)に期待しよう。

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「ぶどうの会」新年会・今年の僕らの歌い初め
 去年の世相を現す一文字が「偽」だなんて。この国は本当に、未来の子供達への申し訳なさですっかり萎んでしまったじゃないか。おまけにその文字の裏側には「欲」というもう一つの文字が隠されていることに、もう皆んなが気付いているね。でも安心しておくれ、そんなことに無縁な小さな真心の集まりは、まだ日本中にいっぱいあるよ。
 狭山市の「ぶどうの会(心身障がい者地域デイケア施設)オアシス作業所」(長い!)
6日の新年会には、近隣の友人達と、作業所に通う子達と、その親と、支援するたくさんの人が集まった。会の代表、皆んなのお母さんの挨拶には、理想的にはいかない運営の苦労が、隠しても現れる。社会の矛盾も格差も、自立支援という名の切り捨ても、こんな小さな施設を真っ先に襲うのだろうからね。
 
budou1budou2 欲しいと言わなくても集まってくるという、必要充分でささやかなお正月料理。支援者のお魚屋さんの寄贈であるところの「尾頭付きの鯛」もちゃんとある。くだもの、野菜、お餅、手作りのおせち、鶴の折り紙のついた箸袋に、ご近所から頂いたという小さなみかん、笑い声。ほかに何かが必要でしょうか。僕らには何もしてやれないのでしょうか・・・。じゃあ歌を歌います、あとで聴いてくださいね。作業所の子供達の日常と、農作業を写したスライドを見ながら皆んなで食べる。
僕らは去年の春に、入間市の「駿大ハウス」で、ここのスタッフの女性に出会い、すぐにライブを申し出てからの付き合いだ。勝手にここのテーマソングだ、と思っている宮澤賢治さんの「雨ニモマケズ」を。そしてもう一曲、去年の暮れからやっと歌う気持ちが掴めてきた、同じく賢治さんの「注文の多い料理店の序」を歌った。僕はこれを何百回か読んだのち、ようやくメロディーにのせて歌うことが出来るようになったのだ。作業所の子供達に捧げようね。ここにその一節を記しておきます。
(賛美歌「What A Friend We Have In Jesus」のメロディーだよ)

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、
きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしい びろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、
かはつてゐるのをたびたび見ました。

(中略)

 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、
どんなにねがふかわかりません。

大正十二年十二月二十日 宮沢賢治 ”
budou3budou4 会の責任者Kitaharaさん率いる和太鼓と舞踊のチーム「風音(かざね)」の演奏。渾身の太鼓の音は、体の疲れに良く効くマッサージだ。そして、それは魂と命に響くメッセージだ。僕の年末年始の風邪による微熱は、本当にどこかへ飛んで行ったよ。
 お正月なので獅子舞も登場。全員の、体の悪いところを噛んでもらって、無病息災を祈願するんだね。お婆ちゃんの腰を、お爺ちゃんの膝を、子供達が健康で働けるように、肩を手を。僕らはもちろん、あ・た・ま(笑)

saruobudou 「さるお」くん、今日は二人だけだ。でも、ここにはもう3回歌いに来た、会の仲間である。通りすがる人波の駅前ストリートから、縁を紡いで拡がる表現の小宇宙へ。「さるお」の旅は続く、カッコいい。張り詰めた空気にすこし緊張か?ゆるめろ!溶かして広げろ!パワーで負けるなよ!たとえ大迫力の太鼓演奏の直後であってもだ。

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