さる15日、入間市のある自治会で、猫の苦情を解決する為の話し合いがあったのだ。僕もわれらが「ねこの会」の会長さんのお供で行って来ました。これはその時のこと、13日の記事にコメントを頂いた。前回の記事にもこの記事にも関わるので読んでみて下さい。
chieko会長のコメント本まで出すような、有名な猫ブログの管理人にも「餌をあげる人と避妊する人とそれぞれで良いじゃないか」という人もいるね。優しさからそう思うのは解るけど、そのために「会」があるんだろ?って言われたら僕らは困ります。その意見の尻拭いで、自治会も住民も深刻な話し合いをしてることなど、ご存知ないのでしょうけどね。
僕は昔、外の猫たちが皆んな元気にノンビリと、日向ぼっこをしていると思い込んでいたのだ。自分のパソコンを持ち、ネットを検索して、猫好きの先輩飼い主達の悲痛な叫びを見るまではね。その無知でのん気な餌やりの男は、やがて罪滅ぼしの為に「ねこの会」に所属し、ブログで猫の保護を訴えるようになるのだが・・・正しい飼い主さんの中には、これを非難する人も居るだろう。情愛の薄さなのか、こうして思い知らされなければ気付くことが出来なかったわけだ。初めから賢く正しくありたかったが、自慢したくて背伸びして、嘘・偽りを書いてはしょうがない。それはブログのルールを無視した、ネット文化への冒涜だからね。

「ヘーゼル、懐かしいヘーゼル」いま居るカリンはお前の生まれ変わりじゃなかろうね。落込んだりはしゃいだりの大人気ない僕を、なにか言いたげにじっと見る、その澄んだ目が良く似ているからさ。
一人暮らしのアパートの窓に、お前は痩せて汚れてやって来たね。寂しく心細かった僕は本当に嬉しかった。その頃ウサギの物語を読んでいて、その主人公の名前を付けたのだ。二人で何年か一緒に暮らした後、放浪癖の僕のもとを離れ、お前は実家の子になった。誇り高く甘えを知らない雌猫だったが、僕の母親の愛情に触れて、柔和な目になり甘えん坊になり、それから10年幸せに生きた。僕に飼われるより幸せだったか?お前が死んだ時、僕はずっと遠くで人生をもがいていたよ。あとで少ない写真を探し、この絵を描きました。

「スカ、懐かしいスカ」うちでご飯を食べ眠ったあと、野原へ元気に飛び出して、見ている前で轢かれてしまった。血も流れず苦しみもせず目を開いたまま即死だった。当時は田舎道を飛ばすドライバーを怨んだけれど、これは僕の責任だ。彼は猫のいる人生の魅力と楽しさを、そして野良の命の悲しさを、存分に教えてくれた猫だった。そして半外の野良猫飼いを、僕に後悔させてくれた子でもある。その頃のボスだった「ジェッポ君」が毒を盛られ、瀕死でうちへ這って来たのもこの頃だ。キジトラおデブ、僕の理想のアイドルだった。
こんなことが続いて僕は教えられ、無知な飼い方が罪悪となる道理を知ったのだ。この絵を描いてから、もう25年。写真を模写しただけの下手くそだな。
(今も下手だって?)
その家も自動車道路が出来て今は無い。他にもいたであろう当時の野良たちは何処へ行ったろう。みなそれぞれの天地を求めて、旅ねことしての短い一生を終えただろうか。
昔は解らなかった猫の言葉が、今は少し解るのだ。声に出して言うことは「遊んでくれ」「お腹がすいた」「寝るから膝を貸せ」くらいのものだけれど。もの言わず目だけで語るその思いの、なんと多様であることか。人間の人生と憂いについて、猫の哲学と楽しみについて。怖いほど、慈愛に満ちた彼らの目に、未熟な僕が教わるべきことはまだまだいっぱいあるのです。
21日追記:珍しい名前の「ヘーゼル」ちゃん。
ここ(しろりんさんち)にも居ました、元気な子です。(しあわせのたね暖め中)